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informationとdesignに関するgitanezのブックマーク (14)

  • 持続性のデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 地域ブランディングということを考えはじめ、さらにこの先行き不透明なビジネス環境を思うに、自分たちの意思やビジョンをいかに持続させていくかが非常に重要になってきていると感じています。 これまでの考え方というのは、どちらかというと自分たちの将来をいかに実現していくかというところに重きが置かれていたのだと思います。将来のゴールを描いて、そこにどう到達するのかの戦略を考え、実行に移す。それはそれでこれからも必要なことだと思いますが、その際、視野にあまり入れることがなかった変化する環境のなかで、いかに自分たちの思いやビジョンを維持していくかというところをきちんと視野に入れて考え、実行する方法を模索する必要があると思います。 つまり、無常を前提としたうえでの持続性のデザイン。 まぁ、い

  • デザイン:情報を公開する技術: DESIGN IT! w/LOVE

    情報デザインとあえてカテゴライズをつくることで、逆にそのほかに何をデザインしているつもりなのか?と疑問を感じます。 情報以外に何をデザインしているつもりなのか? 先に「物に意味を与える仕事(思いやりをもって)」というエントリーで、 人の生活をなんらかの形で役だつ道具としての人工物と、それを利用する人のあいだをつなぐインターフェイスを設計するのがデザインの仕事です。このとき、インターフェイスには、人工物の内部機構と人間の頭のなかにつくられるモデルのあいだを取り持つ役割が与えられます。 と書きました。 インターフェイスとは、情報の意味をそれを扱う人間にあわせて束にしたものにほかなりません。先のエントリーにも書いたように、販売員やサービスマンなど、顧客に接する人の態度や説明、コミュニケーションなども、顧客がサービスに接するときのインターフェイスですし、上司が部下に指示する際の指示の仕方もインター

  • 解釈を代行するのが道具: DESIGN IT! w/LOVE

    コップを使うことは、水をいかに飲むべきか、飲むとはどういうことか、といった解釈を行為自体が代行する。「人工物を利用するものは、自ら改めていちいち問題解決に取り組む必要はなく、問題解決に必要な知的活動をそれらの人工物にゆだねてしまうことができる」(村田純一、前掲書)のだから、道具は、人間の解釈の柔軟性を奪いかねない。 「人間がおこなわなければならない解釈を代行するのが道具」だとしたら、そこにはすでにマニュアル人間化の方向性が含まれています。道具を用いることで人間は「問題解決に必要な知的活動をそれらの人工物にゆだねてしまう」というのは、まさに自分で考えて行動をすることなくマニュアルどおりでしか行動できないことへの道を開いているともいえます。 ここに、ものづくりをする人、文章を書く人、その他さまざまな形で他人にソリューションを提供する人の倫理観が求められる地点があるのではないでしょうか。 道具化

    gitanez
    gitanez 2009/07/03
    id:contractio それが大問題になるケースがあることは理解しますが、僕個人のケースとして、すみませんが興味ありませんし、村田純一さんから引いた「解釈」で特に問題を感じません
  • 文字の官能性、書物としての身体: DESIGN IT! w/LOVE

    と書いたこととも重なってきます。 このあたりにピンとこないと、情報やコミュニケーション、発想やアイデア、そして、それらのためのデザインやデザインを通じて情報やコミュニケーションを扱う人びとの能力といったことがわからないだろうと思います。 その意味で、僕らは、もういちど、書物や文字というものの姿をしっかりと見直す必要がある。僕はそう思っています。 書籍の官能書籍も、文字も、当はもっと身体的で、芳しさや艶めかしさをもっているものだし、官能的であり呪的なものだと思います。 例えば、今福さんは『身体としての書物』のなかで、タイトルにもなっている「身体としての書物」ということを考えるにあたり、身体を英語のボディへと翻訳し、それをワイン用語のボディへと変換してつなげることで、さらにボディに対応する日語を探りながら「コク」へと辿りついています。そして、そのコクは漢字で書けば「濃く」であり、それが古語

  • 2009-05-03:花尽くしと情報技術: DESIGN IT! w/LOVE

    百花園。「百」といえば「尽くし」です。 「百」の世界は「尽くし」と呼ばれる。蝶を尽くす。数え尽くし、描き尽くす。ここには「集団」という概念がない。一匹一匹が異なっている。尽くしの方法とは、すべての「種」を集め尽くすことであり、ヒエラルキーはない。 「集団」という概念がなくヒエラルキーのない百=尽くしの世界。 それはまた現在の接続詞のある世界とは異なる接続詩のない世界でした。ことばとことばのあいだ、物と物のあいだの関係を、理由、原因、結果、所有、逆説、累加などで固定してしまうことのない世界で、そこでは人びとによる遊びのある解釈の余地が残されていたわけです。 接続関係のはっきりした言語表現からみると、関係を限定しない関係の表現ーたとえば列挙表現-は機械の遊びと同じような意味での「意味の遊び」が大きく、極めて不安定にみえる。伝達効率も悪い。にもかかわらず、「取り合わせ」や「間」や「連なり」が意味

  • 思考のプロセスの4段階と作業空間の関係: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 まず、情報を扱う作業をするためには、ある程度のスペースが必要だということはKJ法をやったことがある人なら誰もが実感したことがあるのではないでしょうか。たとえば、A4の用紙に書かれた文章が10数ページもあれば、大きな模造紙2枚分くらいのスペースがないとKJ法はできません。 フィールドワークなどの定性的な調査で集めた手元の情報を、ある程度、人間が把握した上で有効に活用しようとすれば、PCモニター上のスペースではあまりに小さすぎます。情報をポストイットやカードに手書きで写すか、プリンターで出力してカード状にするかは別として、いったんは単位化した情報を大きなスペースに広げてみて全体を整理してみることが必要になります。 KJ法というのは、カードやポストイットなどの形で単位化した情報

  • 情報摂取の場・過程・作法をみなおす: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 すこし前に書いた「テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか」というエントリーに、べええさんがトラックバックをくれました。 この変化には、以下の2点が看過できない点だと考えました。 1つ目に、アナログ情報をデジタル化したときに情報落ちが発生します。デジタル化が進めば進むほど、欠落する情報が多くなる事実があると考えています。 2つ目に、情報過多の現代では、アテンションの方に重点が移っており、情報自体の価値がおざなりになっている事実があると考えています。 僕は先のエントリーで「テキスト化された情報に接する比率が増え、まわりの環境も自然物よりも機械化、デジタル化されたものの比率が増えているいまの環境では、そうした自分自身の感覚の変化によって情報が変化したり、また対象物のほうも静止す

  • 「知る力」よりも「観る力」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『手仕事の日』を紹介した昨日のエントリーでは、ひとつ紹介し忘れた一文があったことに気づきました。 それは次のような一文です。 吾々はもっと日を見直さねばなりません。それも具体的な形のあるものを通して、日の姿を見守らねばなりません。そうしてこのことはやがて吾々に正しい自信を呼び醒ましてくれるでありましょう。 物を通して日の姿を見る。物が人びとの生活を反映する。昨日紹介したなかにも「一国の文化はその国民の日々の生活に最もよく反映されます」との一文がありました。 すこし前に「自分の好みを知るということが結局自分を知ることなんだと思う」というエントリーも書きましたが、物の好みを知ることが自分自身を知ることであるように、物を見ることそのものが日文化の有り様を理解することに

  • 知の編集工学/松岡正剛: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 そろそろ、こののことも紹介しておこう。 あまり自身の仕事そのものに関しては書かない松岡正剛さんが、ご自身の仕事の根幹をなす「編集」について、「編集工学」という方法について書いたです。 情報が情報を呼ぶ。 情報は情報を誘導する。 このことは書がたいそう重視していることだ。「情報は孤立していない」、あるいは「情報はひとりでいられない」ともいえるだろう。また、「情報は行先をもっている」というふうに考えてもよいかもしれない。 確かにこの言葉には「編集」というものの主要な性質が凝縮されているように思います。情報を収集し選択し分類すること、対称性、類似、相違、順番などで情報を並べ、要約、モデル化、列挙、言い換え、引用、図解、例示、強調などの方法を用いて編集を行う際、情報同士が呼び

  • アイデア・素材・表現(インフォグラフィックス・ワークショップ 1に参加して): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日は、TUBE GRAPHICSの木村さんによる「インフォグラフィックス・ワークショップ 1」に、オブザーバーとして参加させていただきました。 今回のワークショップは、「人があつまる 魅力を伝える」をテーマに、5チーム×4名=20名の参加者が、各チームごとに渋谷の5つの商業施設(109、QFRONT、東急フードショー、東急ハンズ、ロフト)を魅力的に紹介する、見開き2ページ想定のインフォメーション・グラフィックスを作成するという内容でした。 なかなかハードなスケジュールのなか、普段からデザイン関連の仕事をされている参加者の方々も苦労して制作物をつくっていました。やっぱり学生中心のワークショップに比べて、みなさん、仕事が早いのが印象的でした。 では、オブザーバーという客観的な

  • 近代以前の文字はどう読まれ/見られていたのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ちなみに右が「君看雙眼色(君看よ双眼の色)」で、左が「不語似無憂(語らざるは憂なきに似たり)」と書かれていて、それぞれ良寛の書。 松岡正剛さんの『外は、良寛。』に載っているものです。 「読む」以外の文字の機能とは?こういう文字を目にして、あっ、またしても読めないと思うとき、いったい、識字率ってなんなんだろうって思います。 活字に慣れてしまった僕らだから読めないのか? それとも、こんな字ばかりだったから昔は識字率が低かったのか? いや、毛筆の文字が読めないのは、きっと臨書体験の少なさも影響しているのでしょう。いろんな人の書いた書を臨書でもして、文字を深く見ることがなければ、草書で書かれた文字をわかることはできないのではないかと思っています。 それにしても、なぜ、このように読み

  • 暗黙知はどこにあるか?/情報は界面にある: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日は情報デザインフォーラムの第1回のお披露目会でした。 100人以上が集まっていただき、大盛況。ありがたいことです。 各自20分しかないので内容が薄くなってしまうかなと思ってましたが、どの先生も結構きちんとプレゼンテーションされてておもしろかったです(特におもしろかったのは、ただ訊いただけでは何も答えてくれなかったご老人がバスの模型を前に話を訊くと、バスに対する不満を次々話してくれたという小池先生の事例は「なるほど、そうだろうな」と思いました)。 講演後の懇親会もみなさん残っていただき、いろんな場所でいろんな会話が飛び交ってました。 詳細な報告はおそらく情報デザインフォーラムのほうのブログに掲載されますので、そちらも参考に。 さて、そんな情報デザインフォーラムで前職の同僚

  • 年の功だとか、日本型の知の普遍化としての型だとか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「狭義のデザイン、広義のデザイン」では、「最初に絵が浮かばない人はデザインに向いていない」なんて書きましたが、それと関連する意味合いで、実はある程度歳をとらないとデザインってうまくならないのかななんて思いはじめています。 やっぱりある問題に対峙した際にパッと絵が浮かぶってのは、ある程度自分に蓄積された記憶の量と種類が必要だと思うんですね。「「わかる」ためには引き出しを増やさないと」っていうわけです。その意味では年齢を重ねながら得た経験は「引き出しを増やす」ことにもつながりやすいのでは、と。 もちろん、歳さえとればいいわけではないし、「創造の現場における「知っている」ということ「身体が覚えている」ということ」で取り上げたようなモーツァルトの例もあります。経験を重ねるとい

  • 語彙が少ないと仕事の能率もわるい?:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 1つ前の「頭の中にあることを瞬間的に出せる訓練をしないとコンセプトもへったくれもない」に続いて、原研哉さんと阿部雅世さんによる対談集『なぜデザインなのか。』より。 今回は、さすが情報のデザイン、コミュニケーションのデザインを仕事にしている原さんならでは、というところをご紹介。 ある企業で聞いた話ですが、工場で働いている人たちの仕事の能率があまりに悪いので、試しに国語のテストをしたら、びっくりするくらい語彙が少なく、成績がよくなかったそうです。たしかに「うぜーな。うぜーよ。メシいこうぜ。マジっすか?」くらいの言葉で済んでしまう世界がある。(中略)それはマズいと思って、その企業は国語教育を始めたんだそうです。それで、彼らが国語が少し面白いと思い始めたあたりから、俄然仕事の効率が

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