初回の記事では、武田邦彦氏らの差別をそのまま報道したゴゴスマの形式的な謝罪を取り上げました。 昨日の第二目の記事では、嫌韓差別煽動の批判を受けて急きょ出された『週刊ポスト』の形式的な謝罪を取り上げました。 「誤解を与えおわび」というのは、昨日の記事で批判した『週刊ポスト』と全く同じ。この連載で批判している、とりあえずアタマを下げて、メディアと世間を誤魔化す日本型謝罪テクノロジーそのものです。 今回の記事では、しかし上の黒岩知事の批判をすることはしません(次回にまわします)。 今日は、昨日の記事で取り上げられなかった、『週刊ポスト』9月13日の差別をめぐる、ある大変重要な論点について、今日は書くことにします。 それは深刻な差別をした『週刊ポスト』あるいは小学館で、書き手は書くべきか否か、という問題です。 抗議として「書かない」を宣言する作家たち──『週刊ポスト』に抗議しての連載休止や小学館へ
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