慶応4年(1868)1月、江戸幕府最後の将軍であった徳川慶喜は、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れ、大阪を脱出するなどしていました。1月1日、新政府によって西宮の警備を命ぜられた備前(岡山)藩の兵隊が神戸の三宮神社前を行進していたとき、外国の水兵が隊列を横切ったのがきっかけで、藩兵が発砲し、英・仏・米の守備兵がこれに応戦しました。外国側は、大阪湾内の諸藩の艦船6隻をすべて抑留し、神戸にあった居留地(当時は造成中)を軍事的に占領しました。 発足したばかりの新政府にとっては、諸外国を敵に回しかねない緊急事態でしたが、備前藩士 瀧善三郎を事件の責任者として、外国士官立会いの下に兵庫の永福寺で切腹することで落着しました。 このとき、新政府の外国事務掛として神戸にいた伊藤博文は、外国人に死者がなかったことを論拠に、外国代表に瀧の助命を求めましたが、受け入れられませんでした。 新政府は、事件の敏速な処理
県域の歴史は古く、比較的早くから農耕が始まって、地域の有力者の存在を示す古墳などの遺跡や銅鏡のような遺物が県内各地から数多く発見されています。県内各地を豪族が支配していましたが、朝廷の力が及ぶと県域に摂津(西部)・播磨・但馬・淡路・丹波(氷上郡・多紀郡)の5カ国が置かれ、それぞれの国に、都から国司と呼ばれる役人が派遣されて地域を支配し、税の徴収などを行いました。 平安時代には、兵庫の地に「大輪田の泊」という港が作られ、瀬戸内海を往来する船の寄港地となっていました。この港を平清盛が宋(現在の中国)との貿易の拠点として大規模に修築しました。一時は、清盛によって都が移され(福原京)、周辺は平氏や源氏の軍勢による合戦の舞台ともなりました。
海外への窓口となる港街として発展してきた神戸は、異文化も身近に感じられるハイカラな街となった。そんな神戸の街には意外と知られていない隠れ名所も多く存在する。異文化漂う北野の街並みからほんの数分歩いた閑静な住宅街の中に、佇む庭園、「相楽園」は、その長い歴史を感じながら憩いの時間を過ごせる場所である。今回は「相楽園」の園長を務める乾高彰さんに庭園の概要や街の魅力についてお話を伺った。 3世紀に渡る歴史ロマンと意外な事実 「相楽園」 ――とても風情のある邸宅ですが、この庭園の概要について教えてください。 乾 園長:相楽園は第11代神戸市長、小寺謙吉氏の先代、小寺泰次郎氏の邸宅でした。1885(明治18)年頃から建築に着手して明治末期に完成、その後、1941(昭和16)年に神戸市に譲渡され現在に至ります。園内は明治期の欧米化の影響を受けて広場なども併設され、「旧小寺家厩舎」は全国的見ても例のない重
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元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。 洋服の話(8) 2017/01/10 夢街道 明治7年5月20日、時の県令神田孝平によって名付けられた元町通、以来、2004年5月20日で130年になる。元町は、西国街道をそのまま取り込んだ元町商店街を中心に、居留地のハイカラも取り入れて、いまも神戸を代表するまちである。村の時代から街へ、そこにはどんな人達が暮らし、商い、まちを動かしてきたのか。歴史があるのに記録がない。誰かまとめてくれる人があれば、そんな声に背中を押され、無謀を承知で「元町」の扉をひらくことにした。 神戸洋服 日本近代洋服発祥の地を讃える顕 彰碑の栞から「神戸洋服」という固有 名詞のあることを知った。その固有名 詞は、どこから生まれたのか、その成 りたちを探ってみたい。 日本で、もっともはやく洋
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。 洋服の話(3) 2016/08/01 夢街道 開港当初の洋服商 制度としての洋服導入は遅れてはいたが、開港を機に、神戸に洋服の浸透ははじまっていた。明治元年、最初に、新しい開港地神戸を目指して横浜からやってきたのはドイツ人のブランドだ。山本通に店をかまえたブラオン商会は、茶を輸出し、織物や兵器を輸入する貿易をはじめ、洋服商を開業した。居留地に定着する外国人の顧客獲得に一番乗りしたブランドの西洋服調整技術は、瞬く間に京・大阪はもちろん東京にまで広がっていく。その評判を聞いた東京の山城屋は、明治天皇のお召服調整の命を受け、ブランドを製作指導者のひとりに招く。ブランドは、そのまま東京に居を移すが、特別な注文とはいえ、神戸という土地柄を経て認められたというのは面白い。 明
Every month, I spend hundreds of hours and thousands of dollars keeping The Marginalian going. For seventeen years, it has remained free and ad-free and alive thanks to patronage from readers. I have no staff, no interns, not even an assistant — a thoroughly one-woman labor of love that is also my life and my livelihood. If this labor makes your own life more livable in any way, please consider ai
BC BC PHP Lord Russell of Liverpool, The Knights of Bushido : A Short History of Japanese War Crimes London : Greenhill Books, 2005, originally published in 1958 , pp. 117-133, 188. Lord Russell of Liverpool, The Knights of Bushido, p. 186. BC GHQ BC Lord Russell of Liv- erpool, The Knights of Bushido, p. 64. BC BC BC BC BC BC BC BC BC BC B BC PHP BC B Lord Russell of Liverpool, The Knights of Bus
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