ちょっと時間がないので完全なメモだけですけれども。 沖縄での米兵によるレイプ事件について、ネット上でも(それ以外でも)色々と議論が起きているようです。わたくし、この問題には何となく口を挟みにくい気がしていた。Macskaさんがここのコメント欄で述べていらっしゃることと、理由はまったく同じ。 少女に対する性犯罪をきっかけに日本本土におけるメディアの扱いや世論が沸騰するあたりは、少女の性を日本植民地主義と米国植民地主義で取り合っているだけのような気がするので距離を置きたいと思っています。そうなるまで沖縄の人たちがどれだけ負担を押しつけられているのか気にしようともしなかったのに、こういう事件があったときだけ大騒ぎするのはおかしいし、普段は性暴力について何も考えていない人が、加害者が米軍兵士だった場合だけ大騒ぎするのもおかしい。 沖縄の負担について考えないわけではないけれども、積極的に何かをしてき
⇒はてなブックマーク - http://www.asahi.com/national/update/0216/SEB200802160003.html ⇒強姦被害から自分を守るために、少しでも意識したいこと。 ⇒これはとても不思議な現象なんだが ⇒性犯罪の被害者がどんなに愚かでもそれに言及するのは許されませんか ⇒http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51129051.html ■ 結局のところ。この種の事件が報じられるたびに判で押したかのごとく繰り返される言説がある。延々と。誰も、好きこのんでこのような話題に言及したくはない。被害当事者があることだから。事件が報じられるたびに、毎度のごとく繰り返され回帰する言説がある。すなわち、言説の延々たる回帰には強固な因がある。それを問題と考えるから、こうして執拗に同じことを記すことになる。 事後にお
☆地球の片隅から世界に発信する革命のメッセージ★ レベッカ・ソルニットは、2006年12月のトムディスパッチ記事「哺乳 類の時代」《*》では、現代の革命・改革勢力を、恐竜が跋扈〈ばっこ〉す る世界の草の茂みにひそむ小さな哺乳類にたとえました。本稿(原題「カタ ツムリの革命」)では、みずからをカタツムリやトウモロコシにたとえる革 命勢力、サパティスタ民族解放軍の自治領域を訪問し、目出し帽やバンダナ で覆面した先住民女性たちに耳を傾けます。アメリカや日本のメディアでは ほとんど報道されない土着の民のメッセージ、暮らしに根ざした夢や希望 を、「暗闇のなかの希望の語り部」のサパティスタ訪問記から読みとってみ ましょう。井上 http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/message/707 凡例: (原注)[訳注]《リンク》〈ルビ〉 [当訳稿では割愛さ
“イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある司祭がたまたまその道を下ってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て哀れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』”さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」” ルカによる福音書10章30節~36節 * 大阪市にはホームレ
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