タグ

ブックマーク / bungaku.cocolog-nifty.com (6)

  • ついに山川純一君の未発表作品を見つけ出したぞ! - 伊藤文学のひとりごと

    75年、住みなれた家と土地をぼくから取り上げてしまった、芝信用金庫に感謝している。あまりにも高い代償とはいえ、ヤマジュンこと、山川純一君の未発表作品をついにそのお蔭で、見つけ出すことができたからだ。 わが家の3階、モデル撮影のためのスタジオにすべく作られた、まったく窓がなくて、高い天井の部屋。それがいつの間にか、衣裳部屋のような倉庫になっていた。 その部屋の奥の方に、秘密の物置きみたいな、扉がついている物入れがある。そこの一番下から茶封筒に入って、4作品が見つかったのだ。そこは何年も開いたことがなかった場所だ。引っ越しということにならなければ、見つからなかったことは間違いない。 スタッフのヤマジュン作品を載せるなコールについに負けて、誌上からなくなってしまった。前にも書いたが、16頁の1作品の原稿料だけで生活していることをぼくは承知していたから、この決定は苦痛だった。 山川純一というペンネ

    ついに山川純一君の未発表作品を見つけ出したぞ! - 伊藤文学のひとりごと
  • 山川純一作品の原画がみつかった! - 伊藤文学のひとりごと

    ついに山川純一君の劇画の原画、13編をみつけ出しました。長い間、使っていた事務所を撤退したので、ダンボールに入れたものが山のようになっていた、その中からです。 なにしろ『薔薇族』関係のものだけでも、35年間のものが、たまりにたまっているので、その中からみつけ出すのは大変でした。 山川君の作品は、一編の長さが16頁で、それだけでストーリーは完結していて、一つの作品で16枚あるということです。 今回みつかった作品は、『薔薇族』の増刊号に掲載されたものが多いです。1983年の作品というと、今から23年前に書かれたものです。原画にはトレシング・ペーパーが貼ってあったので、作品そのものは保存状態がよくて、きれいに残っています。ただ上の部分をセロテープでとめてあって、長い時間が経っているので、その部分はわずかに黄色く変色してしまっています。 山川君がわが家に作品を持って訪れていたのは、すぐとなりに事務

    山川純一作品の原画がみつかった! - 伊藤文学のひとりごと
    gnarly
    gnarly 2006/11/30
    ヤフオクに出すなあああああああああああ!
  • 稲垣征次展「少年艶姿」を見よう! - 伊藤文学のひとりごと

    『薔薇族』を35年出し続けてきて、一番の気がかりは「少年を愛する、少年愛者」のことだ。それは18歳未満の少年に手を出して、ワイセツ行為をして、それが発見され親に訴えられたとしたら犯罪になってしまうからだ。 しかし、少年を愛する欲望は、持って生まれたもので、人が少年愛者になろうと思ってなったわけではない。自然になってしまったのだから、死ぬまで変えるわけにはいかないのだ。 『薔薇族』のスタッフのほとんどが、少年愛の記事を載せるのはよそうという考えだった。それは少年に手を出せば、犯罪になってしまう。同性愛者全体がよく思われなくなってしまうという理由からだ。 『薔薇族』の創刊の頃は、少年に対する規制も、そうはきびしくはなかった。それが時代の流れと共に、少年、少女に対する規制はきびしさを増すばかりだ。今や、少年のヌード写真を誌上に載せることはできない。 誰かが少年愛の人たちのことを考えてあげなけれ

    稲垣征次展「少年艶姿」を見よう! - 伊藤文学のひとりごと
    gnarly
    gnarly 2006/07/27
    稲垣さん!ご息災のようで何よりです
  • 『愛の処刑』はやはり三島由紀夫の作品だった! - 伊藤文学のひとりごと

    2005年11月4日(金)の東京新聞の夕刊の特ダネ記事だった。「三島十代5作品公表=早熟の天才形成期」の見出しでだ。 「作家・三島由紀夫(1925~70年)が十代で書いた短編小説5編をはじめ、後年の書簡54通、創作ノート16点など、大量の未発表資料が、新潮社から刊行中の全集で初めて公表されることが分かった。芸術家の内面を掘り下げた短編などに確かな描写力が読みとれ「早熟の天才」の形成期を具体的に物語る貴重な資料だ。 また、同性愛や切腹を描き、60年に別名で同人誌に発表された小説『愛の処刑』の三島原稿が見つかり、初めて三島作と確定された。(中略) 「愛の処刑」は三島と親交があった作家で編集者の故中井英夫の関係者から、ノートに書かれた自筆原稿が編集部に寄せられた。中学の男性教師が愛する男子生徒の前で切腹する内容で、三島が書いたのではないかと推測されていた。今回、三島作と断定されたことで、2・26

    『愛の処刑』はやはり三島由紀夫の作品だった! - 伊藤文学のひとりごと
  • 眠っているものを掘り起こす仕事 - 伊藤文学のひとりごと

    1982年頃から1987年ぐらいまでに多くの劇画作品を残してくれた山川純一君。彼の作品は「けいせい出版」から、『君ににニャンニャン』『兄貴にドキドキ』『ワクワクBOY』と3冊の単行化された。 ところが「けいせい出版」が倒産してしまって、この3冊のが山の用に返になって残されてしまった。その残った返を「けいせい出版」の女社長に頼まれて、全部をわが社(第二書房)で買い取ることになった。 山のように倉庫につまれた3冊のを見上げて呆然とせざるを得なかったが、山川純一の作品のパワーは物すごかった。なんと、なんと、返の山はあっという間にくずれて、2、3年の間に全部売れてしまった。 山川君は作品ができあがると、わが家に届けにきてくれた。線の細い青年でとっても行動的にハッテン場などに出入しているとは思えない、恐らく体験派でなくて、妄想して書いていると思う。だから発想が自由奔放で大胆な作品を書けた

    眠っているものを掘り起こす仕事 - 伊藤文学のひとりごと
    gnarly
    gnarly 2005/10/04
    ヤマジュンの人物像に少しだけ言及
  • “花の昭和7年生まれ”もうひと花を! - 伊藤文学のひとりごと

    『週刊新潮』6月30日号のワイド特集“泣きたい気分”に、「元祖“オカマ候補”東郷健さんは、“ホームレス”寸前」という記事が載った。 「東郷健さん(73)が窮地に立たされている。自ら発行するゲイ雑誌が休刊に追い込まれ、目下、収入はゼロ。家賃の支払いも滞り、大家から立ち退きを迫られる始末だ。周囲の心配どおり、ホームレスになる日も近い?」 その記事の中で「いずれにせよ、齢73のご老人にとっては、辛いものがある」と書いているが、僕も東郷さんと同じ、昭和7年生まれ、同じような境遇にあるから他人事とは思えない。 アメリカでもポルノの帝王とかつて言われた人が、ネットの出現で雑誌が売れなくなって、この人は当にホームレスになってしまたという記事を新聞で読んだことがある。古い人間が時代のあまりにも早い変化についていけない結果かもしれない。 東郷さんが最初に出した著書『隠花植物群』は、週刊誌の記者だった僕の友

    “花の昭和7年生まれ”もうひと花を! - 伊藤文学のひとりごと
    gnarly
    gnarly 2005/08/22
    東郷氏について 及川氏言及週刊新潮記事頁の画像あり
  • 1