リサ・ゴウ、チョン・ヨンヘ1999『私という旅―ジェンダーとレイシズムを越えて』青土社。 「農村の嫁不足解消のため、アジアから「輸入」されたフィリピン女性たちの現状を訴えながら、リサは、こうした日本の八〇年代「フェミニズム」に対し、鋭くこう切り返していった。 あなた自身は、今どこの位置に立っているのか。 その位置は、ある人々(女たち)を周縁化する構造の外だと言えるのか。 自分の位置を知ろうとしないこと自体が、構造を温存し、差別に加担しているのではないのか。 日本に住むフィリピン女性は、「女」ではないのか。 日本に住むフィリピン女性を解放するのは、誰か。 自分が誰かを他者化しておきながら、その人を解放して「あげる」と考えるのは、さらなる差別ではないのか」(チョン1999、172-173)。 「語ること、語らないこと、語れないこと 私の言葉は 地に墜ち朽ち果てた精子のように 垂れ流される もう