ひのまるが ていこうのシンボルに なったことがある。 せんそうが おわって アメリカぐんの ぐんせいかにあった おきなわでは、 じゆうをもとめて ひとびとは ひのまるを ふった。 とうじの おきなわにとって にほんへのふっきは おきなわのかいほうと 同義だった。 しかし じっさいに おきなわが にほんへ ふっきしたとき、 その ねがいは ふみにじられた。 きちは のこり、おきなわのひとびとは あたかも「にとうこくみん」であるかのように さべつされた。 ひのまるは ふたたび ていこうのはたから たいせいのはたに なった。
「辺野古に軍港まで押し付ける気か」に対して保守的な方からのトラックバックを頂戴しました。主張する内容自体は簡単に言ってしまいますと、ごく一部の犯罪であって多くの米兵は良い人が多い。全てを悪者扱いするのは良くないのではないかと言うことと、現実に基地関連産業で働いている人々は基地の整理縮小によって生活手段である職場が無くなってしまう現実をどうするのか。と言う物でしたそれに対して私が思うことは、先ず米軍がなんのために存在しているのかと言う本質の問題について考えるべきだと思うのです。沖縄の米軍は湾岸戦争、アフガニスタン侵略戦争、イラク侵略戦争と、常に侵略戦争の最前線に派兵されています。その為に沖縄にいるのであって個々人の米兵が良い人がいたとしてもアジア諸国の一般人を殺戮するために存在しているのです。その本質を忘れたところから論議しても始まらないと思います。 基地関連の労働者について語る場合、全軍労
(::.::.::.::.::.::.::.::.::.::, ' `ーく:ト、::::::\::.::.::.:イ _ ヽ::.::.::.::.::.::.:/ ソ\:::::::ヽ::.::八/ ` r‐┘::.::.::.::., ' 弋:::くヘ::::::::',::__ノ二二;了 L::.::.::.::.::.:/ i l^Y_:ハ:::::::i:.ト仆\/:/  ̄}::.::.′ i | ', j YY|ヽ_}::::: |::r‐ハ::lー' 私の後ろに下がりなさい! 早く! _ f¨´::.::.| i l | l./!ハ l l (::.|, =ミ:∨ l::|l\ |◎|\ ゙┬、::.:! | l! l!! ; .リイ,ィュト!
2007年6月20日、コロンビアの首都ボゴタ(Bogota)で行われた抗議デモ中にキスをするゲイカップル。(c)AFP/Mauricio DUENAS 【4月10日 AFP】デンマークの首都コペンハーゲン(Copenhagen)にある、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)が眠る墓地の一角に、ホモセクシュアル専用の区画が設けられたことが分かった。プロジェクト発起人が8日、明らかにした。 プロジェクト発起人のIvan Larsen氏はAFPに対し、「『Regnbuen(虹)』という組織を立ち上げた。目標はゲイやレズビアンが隣り合って埋葬されることだ」と語る。 この組織はアシステンス(Assistens)墓地に、最大45人を埋葬できる区画を借りた。1区画の賃貸料は2500クローネ(約5万4000円)。この墓地はアンデルセンのほか、哲学者ソー
昨夜は、色んなことがありすぎて、興奮というか、色々考えて不安感が増していたのか、全然眠さが襲ってこない。 午前4時になっても 眠くならないので、セロクエルを5錠追加して飲むと、さすがに寝れた。 今朝は8時半起床。10時半からの産業医面談に直出。課長が先に来ていて合流。30分待たされて、11時からになった。 これは「復帰後3ヶ月目」の面談なのだが、「前回の復帰後1ヶ月目より、体調、悪くなっています」と報告した。 でも、「それはそれで、できる範囲で頑張っていくしかないですよね」と、あっさりかわされる。まあ向こうも、そうとしか、いいようがないよなあ。 「病気のストレスで太りました」と報告したら、「それは主治医の人がそういってるんですか? 自分の判断じゃあないんですか?」と一々、聞いてくる。ストレスで、食べすぎで、太ったなんて、医者に聞かなくても、自分でわかるよ。まったく。 ああー、毎回のことなが
更新:トップページ更新.(19.3.21),自作シナリオ更新.(18.3.1) Sorry, only in Japanese(S-JIS code).
山谷労働センター 「30年のあゆみ」 アルバムを見る 昭和40年に発足した山谷労働センターは平成7年11月、30周年を迎えました。「30年のあゆみ」はその記念誌です。このアルバムでは、その一部を紹介します。手入力なので、徐々に充実していきます。 下の文章は記念誌冒頭の理事長あいさつです。30年間の出来事が簡潔にまとめられているので紹介します。 「財団法人山谷労働センターは行政機関になじむことが出来ず、あるいはこれを敬遠する日雇労働者を対象として、東京都が行う山谷対策の総合的な事業運営に協力するため、昭和40年10月に設立されたものです。 設立当初は、職業相談業務のみを行っておりましたが、地区労働者から職業紹介への期待が高まり、昭和41年8月労働大臣の許可を得て、無料職業紹介事業を行うに至りました。以来今日まで関係機関のご指導、ご鞭燵をいただき、また事業所各位のご理解.ご協力を得て、ここに満
引き続き、新サイト(http://kokontouzai.jp/sanpo)をよろしくお願い致します。 by 風俗散歩
16日日曜日、大阪市西成区でおこなわれた、1970年代の大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の人たちの様子を映したスライドの上映と、お話を聞く会に行ってきました。 スライドは、当時日雇い労働者として働きながら写真を撮っていた小杉邦夫という人の撮ったもので、お話は、この地域でこどもや労働者の問題とずっと関わってきておられる釜ヶ崎キリスト教協友会の小柳伸顕さんに聞かせていただきました。 このスライド作品は、「釜ヶ崎 1976冬」という題がついていて、この年のいわゆる「越冬闘争」の記録を中心にしているそうです。当時の様子を生々しく伝える貴重な写真ばかりで、それらを見ながら、当時を知る小柳さんのお話をうかがうことで、たいへん多くのことを感じ、考えることができました。 以下、とくにぼくが強く印象に残ったところを中心に、お話の内容を紹介します。 なお、不明な点などがあったので、お話しを聞いた後に、釜ヶ崎などの事情
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