もしも、生まれて以来ずっと車に乗って全生活を送ってきたという人がいたなら。その人にとって車であちこち行けるのは当然で車はまさに自分の足だ。しかしそれゆえに、車生活というものを相対化することができない。自分の車自体を外から眺めることもない。そうすると、車が動く仕組みを誰かから教わらないかぎり、車がエンジンで動くことやタイヤが回っていることにすら気づかない。前席のドライバーが何のためにいるかも考えてみない。車窓の外を歩いている人があんなに遅いのも不思議でしかたない。そんなふうになるだろうか。 車がどう走るのかをまったく知らない人はあまりいない。しかし言語の仕組みとなると、誰もがこの仮想話と同じくらい分かっていないと言っていい。 たとえば何が分かっていないか。まずなにより、言語を使ってものごとを捉える人間とそうしない他の動物たちとの差があまりにも大きいことが分かっていない。草原の四駆車とチーター