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その観点はなかったけど、「とにかく連帯しましょう」&「そのままのあなたを肯定してあげる」の組み合わせはたしかに新興宗教の布教ノウハウそっくりですね・・・ https://t.co/68b02pV2iA
ユバル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』を必要があってめくり直していたら、冒頭数ページ目(p.23)につぎのような一節があった。「というわけで、新たなエボラ出血熱が発生したり、未知のインフルエンザ株が現れたりして地球を席巻し、何百万… https://t.co/q77JtiLSBi
世界にはいろんなひとがいる。いいやつも悪いやつもいる。愛も暴力もある。それを知るのが文学を読むとか映画を見るとかいう経験で、それが人文知なるものの原点だと思っていたぼくからすれば、世界を善悪で分けることに忙しい最近の人文学はもはやまったく人文的に見えません。
というか、「自分たちは弱者の味方だから全ての批判を免責される」と考えたからこそ、過去あらゆる左翼は堕落したわけです。
ぼくは前々から、緊急事態宣言が出るかどうかはもはや医学の問題でも感染の問題でもなく政治の問題で、医療逼迫とは関係なく出るだろうと指摘してきたが、今回の小池知事の決定はまさにそれを証明するもののように見える。彼女は、自分の政治生命のため緊急事態宣言を必要としているのだろう。
わずか1000人ていどの署名リストの管理もできない連中に世界を変えられるわけがない。
というか、この件については、ある人々は、呉座氏の知人や擁護側というだけで他の学術機関にも「おまえのところのなんちゃらは問題あるから見解出せ」と文書を出しており、そのこともまた業界内では多くのひとが知っているはずなので、それなかったことにしてネットで物語作るのはよくないと思うな。
今回のオープンレターの内容もミソジニーも一切関係なく、きわめて一般的に、ある人々が呼びかけてある抗議文なりなんなりが賛同人の名とともに公開されて、そこに自分の名前が勝手に使われていると抗議するひとがいたら、まずは責任者が出てきて謝罪したり調査を約束したりするもんじゃないの?
アメリカでは1980年代、日本では1990年代に人文アカデミズムが急速に左旋回し「文化左翼」と呼ばれる人々が出てくるのだけど、彼らはとにかくラジカルなこというだけで現実感がない。それから四半世紀、リベラルはすっかり文化左翼に牛耳ら… https://t.co/EgW7svT5FJ
中央公論11月号の尾身茂氏インタビューを読んだ(聞き手は牧原出氏)。五輪について「観客を入れても、会場内で感染爆発が起きるとは思っていませんでした」と明言している。そして「しかし、観客を入れたら、(..)国民に求めていることと矛盾… https://t.co/w2nuvw6Dk6
じゃあなんで話を合わせてきたかといえば、それは単純で、リベラルの学者さんたちは教養があって話が面白いし、彼らが背景としている思想や文学にも魅力があるからです。裏返せば、そういう教養の背景がない単なるリベラル(政治的なだけのリベラル)というのは、ぼくには全然魅力的にみえない。
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