1986年に人類史上最悪の原子力事故が起きたチェルノブイリ原発4号炉。これは2014年5月に撮影した写真であり、その後シェルターに覆われたので、今となっては貴重な一枚か(撮影:服部倫卓)
――判決直後、原告の李春植(イ・チュンシク)さん(94)は泣いていましたね。 黄宣真(ファン・ソンジン) 李さんは原告団4人のうちの唯一の生存者だった。亡くなった3人への思いが涙につながった。支援団体は高齢の李さんの体を心配して、法廷に入るまで、他の3人が亡くなったことを隠していた。 黄宣真記者 宋永美(ソン・ヨンミ) テレビで会見を見た。「もう少し早く、解決できたら良かったのに」と素直に思った。 宋永美記者 ――判決は「日本の不法な植民地支配への慰謝料だ」と指摘しました。 崔在雄(チェ・ジェウン) 韓日請求権協定だけで解決したとは思わない。司法判断は当時、未解決な部分があった事実を強調したものだ。ただ、一般市民がそこまで理解していたのかは疑問だ。報道で混乱した市民もいたようだ。 崔在雄記者 李聖鎮(イ・ソンジン) 多くの人たちは報道で、請求権協定が抱える問題を知った。報道後は、「請求権協
シリアで拘束されていたジャーナリストの安田さんが解放され、無事帰国されたことは大変喜ばしいことである。どのような交渉がなされたのか、解放された背景にはどのような事情があるのか、これから明らかになって行くであろうが、一つ注目すべきことは、今回の解放のプロセスでカタールが大きな役割を果たした点である。 カタールは世界最大の天然ガスの生産国であり、日本も天然ガスの多くをカタールから輸入しているので全く馴染みがないわけではないが、なぜカタールが人質解放で大きな役割を果たすのか、不思議に思うところもあるだろう。カタールは中東の中でもユニークな存在であり、そのユニークさが今回の解放につながったとも言えるので、少し解説しておきたい。 湾岸諸国の中で独自路線を歩む 天然ガスに次いでカタールが知られるのはアルジャジーラの存在である。中東で初めて衛星放送を通じてアラブ世界から情報を発信し、これまでCNNやBB
[Part3] 中国の存在感ますます 際だつ「行動力」と「安さ」 中国の進出ぶりが目立つのは、他のアフリカの国も同様だ。 サファリ観光気分でケニアに入国する外国人観光客たちは、野生動物に出会うより先に、中国の強い存在感を目の当たりにする。 ナイロビのジョモ・ケニヤッタ国際空港と市中心部を結ぶモンバサ・ロード。中央分離帯をはさんで片側3車線の道を走り出してすぐに、高さ10メートルほどの鉄骨組みアーチがある。そこに書かれた「チャイナ ケニア」の太い文字は、見逃しようがない。(現在は撤去) 日本外交官の一人は「品がない」とぼやく。だが、渋滞や事故の原因だった、でこぼこだらけのモンバサ・ロードが大改修されたのは、中国の援助のおかげだ。 ほかにも、さまざまなインフラ整備に尽力してくれた中国に対し、ケニア政府は6カ所の油田開発を認めた。ゲートも、友好の気持ちを形にした、ということだろう。 こうした現象
[Part1] 新機能――パリの教室 風景変えた日本製ペン 日本の技術を生かし、フランスで広く受け入れられた水性ペンがある。筆記具大手パイロットコーポレーション(本社・東京)の「フリクション」だ。熱すると透明になるインクを使い、ペン後部のゴムでこすると、摩擦熱で消えて書き直せる。 パリ東部の公立小学校、ラ・プレーヌ小学校の教室を訪ねた。日本の4年生にあたるクラス。「『フリクション』を持っている子は?」と聞くと、ちょうど半分の14人の手が挙がった。ノートをとるのによく使われる青のほか、黒や赤、黄色い蛍光ペンと、何色もそろえている児童もいる。 学校がこのペンを薦めているわけではない。なぜフリクションがいいのか。男の子が説明してくれた。 「万年筆だと1回しか消せない。でも、これなら何回でも消せる」 欧州では、フランスに限らず、教室でボールペンや万年筆を使う国が少なくない。鉛筆の出番は主に絵を描く
[第41回] 中国のアフリカ援助をめぐる4つの誤解 デボラ・ブローティガム Deborah Brautigam アメリカン大学国際関係学部教授 《要旨》中国が最近、アフリカに巨額の援助をして天然資源を手中に収めようとしている──。こうした見方が目につくが、誤解だ。本当の問題は別のところにある。 中国政府によるアフリカ援助について、四つの誤解が広まっている。 (1)中国は、最近になって援助を始めた「新顔」だ。 (2)中国のODAは額がきわめて大きい。 (3)中国は援助事業に従事する労働者のほとんどを自国から送り込んでいる。 (4)中国の援助は専ら資源獲得のためだ。 ──結論からいえば、これらはすべて根拠が無く、誤りか、過大評価だ。順番に説明していこう。 (1)中国は50年以上前からアフリカに援助している。1960年代後半に建設が決まったタンザニアとザンビア間を結ぶタンザン鉄道建設への援助が代
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く