名探偵の代名詞、シャーロック・ホームズ。 全作品を合計すると60作品(長編4、短編56)にもなります。 文庫本にして9~10冊ですから、全部読み切るのはなかなか大変です。 原作の著作権はすでに切れていますので、英語のテキストは数多くのサイトで公開されていますが、 邦訳はほとんど著作権が残っており、インターネット上で自由に読める邦訳はごく一部に過ぎません。 このサイトでは、既存の著作権に抵触しないように、全ての作品を改めて原作から翻訳し直して公開しています。 初出誌のストランドマガジンに掲載されたシドニー・パジェットのイラストも、ほぼすべて掲載してありますので、パソコンや携帯から、存分に世紀の名探偵シャーロック・ホームズの魅力をお楽しみください。 Tweet
先日、2ヶ月半で289冊読んだと言いましたが、 その中に何冊か、まるで神すなわちゴッドのような本がありました。 半端なく超ウルトラ面白い。 誰にでも自信をもってオススメできる。何だったら隙あれば買ってプレゼントしてしまいたい。 そんな神本を、何回かに分けて紹介します。たぶん5冊くらいになります。 まず最初の1冊目は、「戦争広告代理店」。NHKディレクター高木徹さんの本です。 いやもうこれ、超ヤバい。むちゃくちゃに面白い。 ドキュメント 戦争広告代理店 高木徹 [Amazonで詳細を見る] ボスニア紛争って覚えてますか? 当時、セルビア側がボスニア側に「民族浄化」を行っているとして、国際世論の非難がセルビアに集中。最終的にNATOが空爆。セルビアは世界の悪者になって敗北、みたいな結末の、1990年代半ばに起こった戦争です。 今は民族浄化やその他残虐行為はお互いやってたなどの「どっちも悪い」と
→紀伊國屋書店で購入 活版印刷術の登場によってヨーロッパ社会がこうむった根本的な変化を研究した本であるが、「印刷革命」という表題は誤解をまねくかもしれない。本書の執筆のきっかけはマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』(1962)だったという。アイゼンステインは印刷術が人間の経験を解体し認識能力をも変容させてしまったとする『グーテンベルクの銀河系』の主張に衝撃を受け、本当にそのような変化が起ったのか、印刷術の実際的な影響とはどのようなものだったのかを知ろうとセカンド・オピニオンを探したが案に相違して印刷術と社会の変化の関係を調べた本は皆無だった。そこで自分で調べはじめ1979年に『The Printing Press as an Agent of Changes』という浩瀚な研究を上梓した。本書は同書を一般読者向けに要約したものである。 印刷術はなるほど革命だったが、口承文化から文字文化へ
レファレンスには、dictionaryやencyclopediaの他にも、handbookやcompanionというのがある。 ハンドブックの方はもう外来語(つまり日本語)として定着していて、改めて説明など必要ないように思えるが、コンパニオンの方は本のタイトルに見ることも少なくて、何なんだと改めて問われるとうまく答えられそうにない。日本語を当てると「必携」となるようだが、何故に「必ず携えるべき」なのか、もう一歩踏み込んで訳を聞いてみたくなる。 ちょうどここに、「なるほどコンパニオンとはこういうものを言うのか」と納得した書物があるので紹介したい。 辞典・事典はビギナーにやさしくない、と言われる。 その分野に関わり出して間もないので、右も左も分からない、それどころか今目の前にあるコトバが理解しがたい場合に、この不案内な状況を助けてもらおうと、わからないコトバをその分野の辞典・事典で調べてみると
< 数冊なら机の上でもいいだろう。数十冊なら枕元でもいいだろう。しかし数百冊になると本棚は必須。数千冊を超えると本棚が日用品と干渉するようになり、そして数万冊となると不動産の問題になってくるのだ。 < そうなんです。そんなだから、前々から本を裁断&スキャンして電子化(PDF 化)しようと思っていて、今年のゴールデンウィークは、本の裁断&スキャンに没頭していました。 誰だってある程度数をこなせばコツをつかむものだと思うのですが、大切な本、1冊だって失敗したくないって人のために、気をつけるべきポイントをまとめてみます。 今回はとりあえず本の「裁断」について。あんまり長くなるとアレなので、スキャンその他については次の機会にチャレンジしてみる予定です。 **(2010年5月20日、5月30日、8月29日、9月17日 追記) スキャンや PDF 圧縮、PDF リーダーについても書きました。よろしけれ
(ブックリスト各分野へのリンク) 数学 物理学 化学 生物学 医学 人類学 心理学 経済学 政治学 社会学 宗教学 歴史学 哲学 芸術 演劇 文学 音楽 法学 教育 アラビア語・サンスクリット語 古代ギリシア語、ラテン語 はてなブックマークで「そんなもの読むくらいなら洋書読め」と具体的な書名付きで再三にわたりコメントをいただいているmaido99さんに敬意を表して、こんなエントリーをおったててみた。 このエントリーの成否は、「英語?めんどくせー」という人に、洋書で学ぶことのメリットの大きさを示し、対してデメリットが取るに足りないものであることを説得できるかどうかにかかっている。 そういう人の面倒をみたい訳でも、またみなきゃならない訳でもないが、清水幾太郎が珍しく良いことを言ったように、文章と言うものは、自分が「あたかも~であるかのように」書くことで、書きたいことの優先順位が決まり整序がつく
一般の人が、数学を本を読んで理解しようとするとき、二つの障壁を乗り越えねばならない。一つは、語られている概念が抽象的であること、そしてもう一つは、それを語っている「言葉」が数式というこれまた「読みにくい言語」だ、ということだ。書き手が後者を突破する道は二者択一である。第一の道は、数式を使わず、極力日常の言語で表現すること。第二の道は、あえて「数式言語の読み方をレクチャーする」ことである。でも、第二の道を選択する書き手はほぼ皆無である。なぜなら、相当しんどい作業になる上、それだけの努力が本の売り上げに貢献するとは考えられないからだ。かくいうぼくも、第二の道を試みたことは一回しかない。それは『文系のための数学教室』講談社現代新書で、「ルベーグ積分」を題材に、積分記号の読解の作法を伝授した部分だ。そこでのメッセージは、「数式には独特の読解の仕方がある。記号を記号のまま受け入れようとせずに、自分の
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