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ブックマーク / kaikaji.hatenablog.com (33)

  • 再論・フローの格差とストックの格差 - 梶ピエールのブログ

    十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争 作者: 峯村健司出版社/メーカー: 小学館発売日: 2015/02/26メディア: 単行この商品を含むブログ (11件) を見る 習近平政権に関しては誕生した時、日ではその権力基盤はそれほど強くないのではないか、あるいは政権が10年もつのかどうか疑問、という見解が結構見られたのに対し、アメリカの政府関係者や専門家の間では、その権力基盤の強固さを指摘する声がほとんどで、日米の間でその見方がかなり分かれていたようです。 今となっては、「習近平=弱い指導者」説は全くの誤りだったことは誰の目にも明らかになりました。アジアインフラ投資銀行に代表されるこのところの中国の国際的な舞台での発言力の強化、およびそこで習近平が示している明確なリーダーシップを見ても、習近平政権が国内において非常に強い求心力を得ていることが対外的な発言力の強さにつながってい

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  • <民主>と<中華> - 梶ピエールのブログ

    お久しぶりです。この間、米中戦略経済対話や、四川大地震3周年など中国関連の動きはいろいろあったようですが、それはまあともかく。 あまり誰も気にとめていないかもしれないけど、ちょっと前のニュースで、以下のようなものがあった。 http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011050200420 【北京時事】台湾のシンガーソングライターで1983年に中国大陸に亡命、89年の天安門事件後に台湾へ送還された侯徳健氏(55)が1日、北京の国家体育場(愛称・鳥の巣)でロックコンサートに出演した。中華民族のルーツを竜に託し、70、80年代に中台双方でヒットした「竜の伝人(伝承者)」を歌い、9万人の観衆は懐旧の情に浸った。 2日付の香港紙・明報は「侯氏が6・4(天安門事件)後、北京でステージに立つのは初めて」と伝え、北京紙・北京晨報は侯氏の舞台写真を掲載した。 侯氏が78年に

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  • マオの時代のプレカリアート - 梶ピエールのブログ

    少し前だが、現在の中国社会における「臨時工」という存在の位置づけ、そして、例の餃子事件を始め、最近の中国においては何か社会的事件が起きるたびに「臨時工のやったこと」で片付けられてしまう風潮について、ふるまいよしこさんが次のようなとても興味深い記事を書いていた。 http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_1994.htmlより 日における毒ギョーザ事件報道でも、逮捕された呂月庭容疑者(蛇足だが、中国語的にはとてもきれいな名前だ)が犯行に及んだ理由について、「勤務条件への不満」や「正社員になれなかった」などという「臨時工であることの悔しさ」が全面的に強調されている。それはきっと中国側から伝えられた詳細をそのまま記事にするしかなかったのだろうが、「臨時工」という漢字の言葉が持つ意味があまり分からない日の読者にとっては、分かったよう

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  • 遅れてきた「開発体制」国家 - 梶ピエールのブログ

    えーと、G20とかTPPとかAPECとか、英語の頭文字が多くてよくわかりませんが、何か世界の大事なことが次々と決まりつつあるんですよね? ・・というわけで、尖閣の件はともかくとして、現在の国際情勢を考えたときに、先進諸国が押しなべて中国と対峙することの難しさに直面している、という認識はそれほど的外れでもないだろう。ここでやや視野を広く持つならば、いわゆる「西側」の先進国が中国と対峙することの難しさは、かなりの部分がかの国が「遅れてきた、あるいは似て非なる開発主義国家」であることに帰することができるのではないかと思う。そのことを詳しく論じるためには「開発主義」あるいは「開発体制」とはいったい何であったのか、ということを改めて論じる必要があるわけだが、そのための知識を整理しておくための格好のガイドブックとして、以下のをお勧めしておきたい。 アジア政治とは何か - 開発・民主化・民主主義再考

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  • 「人間の条件」とアジアにおける「公共圏」:劉暁波氏のノーベル平和賞受賞をどう考えるか - 梶ピエールのブログ

    来月に劉暁波氏のノーベル平和賞授賞式を控え、参加しない国はどことどこだ、ということでまた関心が高まっているようだ。あまりフォローはしていないのだが、受賞以来、日でも僕自身の予想以上に詳しく劉氏とその思想的な背景についての報道がなされたようで、長らく絶版になっていた劉氏の『現代中国知識人批判』までがすぐに復刊された。このを開いてみればわかることだが、劉暁波が欧米かぶれの近代主義者だというようなレッテル貼りはまったくの誤りで、むしろアジアにおける「抵抗する知識人」の系譜に連なる人物であることがよくわかる。 現代中国知識人批判 作者: 劉暁波,野沢俊敬出版社/メーカー: 徳間書店発売日: 1992/09/30メディア: 単行 クリック: 11回この商品を含むブログ (4件) を見る さて、授賞式にあたっては中国政府は劉氏のの出席も認めなかっただけでなく、諸外国に対しても欠席を呼びかけるな

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  • 欧米人の眼、中国人の精神 - 梶ピエールのブログ

    少し前に、世界ウイグル会議のラビア・カーディル議長のドキュメンタリーの上映に抗議して、メルボルン国際映画祭に招待されていた賈樟柯(ジャ・ジャンクー)ら数名の中国映画監督が出席を拒否する事件があった。 http://dianying.at.webry.info/200908/article_1.htmlより。 東京国際映画祭でも過去に似たようなことがあった。 あの時はブラッド・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」が オープニング上映されるのを知った中国代表団が抗議してきて、 結局来なくなったのだ。 代表団というのは中国の電影局が団を組んででやってくるものなので 一緒に来る予定だった監督や俳優にはどうしようもない。 だけど、確か作品上映自体はされたのではなかったかと思う。 でも、今回は作品上映の撤退だというからひどい。 それも電影局がそう言って来たのではなく 監督自身の意思らしい

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  • 最近の論壇誌の記事とか - 梶ピエールのブログ

    今日(21日)から中国出張にでることもあって、このまま8月中更新しないで終わってしまう可能性もあるので、駆け込み的にメモ的なことだけ書いておきます。ブログを欠く意欲がなくなったわけではないのだが、twitterをやりだしてからとにかく入ってくる情報がこちらの処理能力を超えていて・・ さて、中途半端ながら更新しようと思ったのは下の記事で紹介した、エイズ患者、同性愛者、少数民族などマイノリティの人権問題に取り組んできた中国のNGO「北京愛知行研究所」に関する追加情報をゲットしたから。twitterで流したところそれなりの反響があったのでここでまとめておきます。 『世界』9月号に、麻生晴一郎さんによる、最近の中国のNGOの活躍や政府との衝突について紹介した記事「公民社会への道」によると、「北京愛知行研究所」は今年の3月から4月にかけ当局の徹底的な立ち入り調査や妨害活動を受け、万延海所長は活動の場

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  • 神話的暴力と神的暴力、あるいは「動物」たちの反乱 - 梶ピエールのブログ

    少し前の、稲葉振一郎氏のエントリより。 少し話は変わるが、人(認識・行為の主体)を殺すということは、ある意味で(すなわちその人にとっての)世界を終わらせるということであり、その意味で人を殺すという営みは神的である。レヴィナスが「殺人は不可能である」と言ったのは要するにそういう意味においてであるとは言えまいか。つまりより正確には「殺人を人として行うことは不可能である」ということであったのではないか。殺すことにおいては、人は実に簡単に神の真似事ができてしまうのである。 もちろんその対極の、いわば「神の真似事」の困難な極というものが考えられる。すなわち、世界を創造するということだ。しかしこうした作業でさえも「真似事」としてであれば十分に可能である、とは言えまいか。すなわち、ある人にとってはその外側、ほかの可能性(「可能世界」と呼んでしまうことはとりあえずは差し控えるとして)が想定できないような環

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  • 毛沢東と「野望の王国」 - 梶ピエールのブログ

    ・・さて、前置きのつもりの上の文章ががずいぶん長くなってしまったので、別エントリを立てます。というわけで日だけではなく世界中でその振る舞いが警戒されつつある中国とはどういう国なのか、その「建国」の事情に立ち返って捉えなおすには、なんといってもこの書物でしょう。 毛沢東 ある人生(上) 作者: フィリップショート,山形浩生,守岡桜出版社/メーカー: 白水社発売日: 2010/07/17メディア: 単行購入: 2人 クリック: 20回この商品を含むブログ (19件) を見る毛沢東 ある人生(下) 作者: フィリップショート,山形浩生,守岡桜出版社/メーカー: 白水社発売日: 2010/07/17メディア: 単行購入: 2人 クリック: 5回この商品を含むブログ (12件) を見る  7月に出たこの上下巻は相変わらず書店の中国コーナーに平積みにされているけど、若年層の中国離れがいっそう進

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  • 『虹色のトロツキー』のその後 - 梶ピエールのブログ

    2008年3月のチベット騒乱以降、日でも中国の少数民族問題を論じた書物が書店で数多くみられるようになった。書も、その流れの中での出版と位置付けることも、あるいは可能かもしれない。それならばネット上などでもう少し話題になってもよさそうなものだが、今のところそうなっていないのは、書の上下で6000円という価格に加えて、その突出した「重さ」のせいであろう。その内容について、安易に語ることを拒絶するものがこのにはあるからだ。全体を読みとおすことは中国の現代史についての一般的な知識があればさほど難しくはない。しかし、そこで提起される問題について整理しようとすると、立ち止まって深く考え込まずにはいられない、これはそんな稀有な書物だ。 墓標なき草原(上) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 作者: 楊海英出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/12/18メディア: 単行購入: 1

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  • 衝撃の書物 - 梶ピエールのブログ

    墓標なき草原(上) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 作者: 楊海英出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/12/18メディア: 単行購入: 1人 クリック: 38回この商品を含むブログ (10件) を見る 墓標なき草原(下) 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 作者: 楊海英出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/12/18メディア: 単行購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (10件) を見る Acefaceさんにtwitterで教えてもらったので早速購入。楊海英氏が掘り起こしてきた文革期の内モンゴルで起きた虐殺の資料と関係者への聞き取りを基に一般読者にも読みやすい形にまとめたもの。ちょっと読んだだけだがこれは確かにすごい。休みの間にじっくり読もう。

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  • 緊急更新その2 - 梶ピエールのブログ

    前回もそうですが「緊急」というのはあくまでも「なかなか更新する気が起きないが、このネタぐらいは押さえておくか」という個人的な気分を表したものであり、世間的な意味は全くありませんのでご注意下さい。 http://www.php.co.jp/magazine/voice/ この雑誌は、巻頭におかれた円高と成長との関係がどうの、というネタとしか思えない論考にどうしても目が行ってしまいがちである。が、ここで触れておきたいのはそのことではなくて・・・同誌の比較的目立たないところ掲載されている水谷尚子氏の「ウイグルの襲撃事件はテロか」は、この人が書いたウイグル問題に関する論考の中でも、現状に対する見通しのよさという点では出色のものである。断言するが、今後この問題を語ろうとする者は、最低限ここに書かれているようなことは押さえておくべきである。また、そのこととは別に、以下のような水谷氏の姿勢には、あらため

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  • 都会の鼠と田舎の鼠 - 梶ピエールのブログ

    K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論 作者: 石井知章出版社/メーカー: 社会評論社発売日: 2008/04メディア: 単行 クリック: 5回この商品を含むブログ (6件) を見る 間違いなく、マルクスは中国やインドを、西洋的合理主義とは異質な論理の支配する、言い換えれば『資論』の分析がそのままでは通用しない特殊な世界として考えていた。マルクスがインドが一旦イギリスの植民地にされたことを、「進歩」として評価していたという話はあまりに有名だ。それを現在の価値基準から、「アジア人蔑視」として批判することはもちろん可能だろう。しかし、ことはそう簡単ではない。 マルクスにおけるアジアの特殊性の認識を端的に示すのが「アジア的生産様式」という概念である。ただ、このような考え方は、マルクスの理論が来当てはまらないはずの旧ソ連や中国共産党にとっては当然非常に都合が悪いわけで、実際に共産党が政権

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  • ウイグル人とナイフ - 梶ピエールのブログ

    http://kok2.no-blog.jp/tengri/2008/07/bb82_f6d7.html http://kok2.no-blog.jp/tengri/2008/07/post_f087.html 公式報道は中国公安がアパートで火器や爆弾を発見してはいないが何ものナイフを発見したことを主張している。しかし伝統的ウイグルナイフはウイグル居住地のどこにでも発見できるものであることを表記するべきである、そしてその種のナイフは一般的に文化的伝統的な目的の為に保持されるのであり、他者へのどのような危害の意思で保持されるのではない。 イリ事件のあった1997年夏、「危ないからやめとけ」という漢人たちの忠告を無視してふらっと新疆に旅行したことがあった。ウルムチからカシュガルまで、二泊三日で走るバスに乗っていたときのことだ。夜中の二時ごろだったろうか、すっかり深い眠りにおちていたところ、突

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  • 村上春樹と中国と「モンゴル」 - 梶ピエールのブログ

    以下はちょっと前に書きかけてしまいこんでいたものですが、稲葉さんがここで書かれていることとちょっと関係しそうなので、ここでお蔵出し。 Acefaceさんからご示唆いただいた以下のテクスト、非常に示唆的だったので、いくつかの箇所を引用したい。 http://www007.upp.so-net.ne.jp/mongolbungaku/muraka.html 『ねじまき鳥クロニクル』の中のモンゴル人、すなはち、蒙古兵は、『羊をめぐる冒険』の中の印のある羊のような抽象的で、理解不能な存在である。勿論、彼らはその物語の主人公ではない。物語の主要なトポスがノモンハンであっても、その場所の主人公は彼らではないのだ。そして、蒙古兵のイメージは、第3部の狂暴なモンゴル人の渾名が「タルタル」(勿論、ラテン語の地獄を連想させる)であることが示すような人種主義的な時代のオクシデンタルなモンゴル人観に依拠している。

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  • 続・『不平等国家 中国』について - 梶ピエールのブログ

    先日まとめたこのの結論の中でも、特に重要なのは「共産党員・国家幹部が改革の最大の受益者になっている」という指摘だろう。たしかに80年代には非国有セクターの伸びが目立ち、「国立大学の先生よりタクシーの運転手の給料のほうが多い」という状況もしばしば見られた。しかし、90年代後半以降は国有企業のリストラなどが行われる一方で、国有セクターに残った人々の既得権益はむしろ強化されたのだ*1。 このうちもっとも重要な動きとして、同時期に進んだ住宅改革の効果が挙げられる。これはそれまで国有企業など「単位」が提供していた住宅を、払い下げなどの手段で個人の持ち家に転換させる政策だが、その際国有セクターの従業員はかなりの優遇を受けた(具体的には市場価格よりかなり安い値段で払い下げを受けた)と考えられる。このような「住宅格差」は帰属家賃を通じてそのまま都市住民間の所得格差の拡大につながったであろう。 また、90

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  • 園田茂人『不平等国家 中国』 - 梶ピエールのブログ

    不平等国家 中国―自己否定した社会主義のゆくえ (中公新書) 作者: 園田茂人出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2008/05メディア: 新書購入: 1人 クリック: 29回この商品を含むブログ (22件) を見る 政策決定にも影響力を持つ中国の社会学者たちと広い親交を持つ筆者が、豊富な一次データを駆使して現代中国社会の階層分化を分析。とりあえず重要と思われる点をメモ。 ・中国社会の「不平等」の象徴としてとりあげられることが多い都市の出稼ぎ労働者だが、実際はそれまでの農村での生活に比べれば確実に暮らしがよくなっているので、それほど不満は感じていない。したがって彼(女)らの生活への不満から何らかのカタストロフィーが生じる可能性は非常に低い。 ・しかし、出稼ぎ労働者も都市生活が長くなればなるほど、具体的な不満を募らせる傾向にある。 ・都市住民の中では、低所得者層の方が外来人口の流入に対

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  • 「可視化される他者」とナショナリズム - 梶ピエールのブログ

    例えば、大澤真幸氏は、ナショナリズムの「起源への関心」について次のように述べている(『ナショナリズムの由来』377ページ)。 ナショナリストは、ネーションの起源を、ネーションの領域からいくぶんかずれた外側に―いわば隣接的な外部に―見出す傾向がある。ナショナリズムは「起源」についての強い関心を伴う、ということについては既に述べておいた。その「起源」は、しばしば、ネーションの領土の外側に、つまり外国に位置づけられるのである。「日人」の起源が「南島」にあるとか、ユーラシア大陸の「北方騎馬民族」にある、といったような理説が、その例である。こうした傾向は、時に、国境紛争を誘発する原因となる。起源となる聖地が外国に奪われているかのような感覚を生むからである。 現在チベットが中国(人)のナショナリズムをかきたてているかのように思えるのは、大澤の言うように「隣接的な外部」であり、それゆえに歴史的に諸外国

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  • 香港リベラル派知識人のチベット論 - 梶ピエールのブログ

    世界各地で聖火リレーへの抗議行動が起こり、それに対して中国国内からの愛国主義的な反発が強まるという現象が繰り返され、事態はさながら「文明の衝突」の様相を見せている。チベット人に同情的な国際世論と一般的な漢民族の意識とのギャップは絶望的なほど大きい。しかしながら、漢民族の知識人の中には、少数ではあるが冷静かつ真摯にこの問題に向き合おうとしている人々も確実に存在している。 アモイのPX工場建設反対活動などで有名な連岳氏のブログはその代表的な存在だろう。同氏のブログでは少数民族の読者が心情をつづったメールが紹介されたり、民族問題をめぐる過去の中国政府の姿勢の矛盾が批判されたりと、いわゆる「愛国主義」とは明確に距離を置いた、リベラルで活発な議論が展開されている。 その連岳氏のブログに、香港出身の知識人、梁文道氏による「チベット問題の最大公約数」と題する論説が寄稿されている。これはチベット問題の歴史

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  • 川島真先生、アフリカを行く - 梶ピエールのブログ

    http://shinriji.exblog.jp/d2008-04-03 アフリカのメディアは一般的に中国に辛口だというが、それはおそらく反政府の立場をとるからであろう。反政権、反政府となると中国批判になるのは、中国が政府や政権の中枢に集中的に接近している姿を反映している。だが、メディアが複数あり、プロ政権、アンチ政権に分かれている場合には、前者が中国支持となる。 ちょうど、マラウイ大統領が中国を訪問中なので、その動向をネットで調べる。 地方政府とマラウイ政府との間の経済協力が模索されている。四川省とマラウイ政府は灌漑をめぐって調整。深圳では港湾建設などが相談されている(河川交通の港湾か)。地方政府に対外支援ばらまくところが中国の特徴。中央政府だけ見ていては、中国の対外援助はわからない。

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