三浦 義意(みうら よしおき[1])は、戦国時代の武将。相模三浦氏最後の当主。通称は荒次郎。官途名は弾正少弼。 略歴[編集] 三浦義同の嫡男として誕生。室に真里谷信勝の娘・真里谷恕鑑の妹(異説有)。 父から相模国三崎城(新井城とも。現在の神奈川県三浦市)を与えられ、永正7年(1510年)頃、家督を譲られる。「八十五人力の勇士」の異名を持ち、足利政氏や上杉朝良に従って北条早雲と戦うが、永正10年(1513年)頃には岡崎城(現在の伊勢原市)・住吉城(現在の逗子市)を後北条氏によって奪われて三浦半島に押し込められた。 父と共に三崎城に籠って3年近くにわたって籠城戦を継続するが、遂に三崎城は落城、父・義同の切腹を見届けた後に敵中に突撃して討ち取られたと言う。これによって三浦氏は滅亡し、北条氏による相模平定が完了する事になる。 最期[編集] 三浦浄心『北条五代記』[2]には、背丈は7尺5寸(227セ