入行した東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)は、当時就職ランキングトップ。もちろん連夜の徹夜仕事など、一部の外銀やコンサルにあるとされる「ブラックな働き方」はなかった。TVドラマの半沢直樹よろしく出向等はあるにしても、30代で年収は1000万を突破する。家族を含めて周囲も、将来を約束された「エリート行員」としての出雲に、価値を見出し喜んだ。 出雲本人も、お金の流れを勉強したらいつかはミドリムシに戻ろうという想いはあったものの、仕事も面白くあまりに居心地が良い銀行の中では、もうミドリムシのことは忘れて銀行にいたほうが楽しいかな…と思うこともあったという。 銀行というグリーン車を新横浜で下りることの意味 しかし、出雲はその銀行を辞めた。母親はショックで寝込んだ。先輩などからは「考え直せ」といわれた。それでも、銀行を辞めたのは、今が「新横浜」の途中下車タイミングだと思ったからだった。 「東京駅か
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