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ブックマーク / ncode.syosetu.com (5)

  • 日本語の「鬼」について

    私が読んだ日書紀の注釈では、「鬼」という字は、万葉集では全て「もの」と読んでおり、「おに」という読みが定着したのは平安時代からだというのが定説だと述べられていました。 ではその「おに」という言葉はどこから来ているのかというと、その語源には諸説あるようですが、その一つに「鬼」は「陰」から来ているという説があります。つまり陰陽(おんみょう)の陰(おん)から来ていて、「陰(おん)」→「おに」となったという説です。このように漢語から来た言葉としては「縁(えん)」→「えに」→「えにし」があります。 自分としては、この説が正しいと思います。理由は以下の通りです。 まず、漢語としての「鬼(き)」は、来は「亡くなった人」「死者の霊」を指します。この意味での使われ方は、「鬼籍に入る」という言い方に表れています。飛鳥時代の仏像の銘文でも、聖徳太子の亡くなった母のことを「鬼前太后」と読んでいるそうですから、

    日本語の「鬼」について
  • そりゃないよ、中国語さん。 - 中国語の品詞は分かりづらい

    今回から暇つぶしに中国語の文法に関する私見を語っていこうと思う。 といっても私は言語学者でもなければ大学院生でもないタダノ=一般人であるので、これを読んだ結果あなたが間違った知識を吸収しても私は知らない(無責任) よく「中国語の文法は簡単だ」と言われる。確かに中国語の文法はヨーロッパの言語と比べると単純ではある。名詞や動詞、形容詞が一切変化せず、日人にとって難しいのは発音だけなんて言われたりすることもある。 しかーし。 私は中国語をもう何年も勉強しているのだが、中国語の文法というのはつかみどころなくよく分からないと感じることが多々ある。ただ単に私がバカなのかもしれないが、中国語は日語や英語を比較対象にすると非常に異質な言語に見える。 まず、品詞がはっきりしていない。 中国語の品詞は、文全体で語がお互いにゆるやかに依存し合うことによって発生しており、語、あるいは字一つでは品詞なんてものは

    そりゃないよ、中国語さん。 - 中国語の品詞は分かりづらい
  • 古代中国とハプログループ

    新たな情報から再度整理したい。実は前から知っている情報、それを稲作の北上と重ねて再度考えてみた。歯抜けだが一部中国南方の古代のY染色体ハプログループは分かっている。文明ごとにあったりなかったりするので、今まで放置してきた。だが稲の北上と絡めると使えるかもしれないと思いなおした。 可能性の高いのが山東省。これについては近い時代で山東龍山文明と言う中原に繋がる文明がある。これはハプロが分かってない、ベタな遼河文明の担い手のN系からの延長ではないか?と考えている。ただこの問題の難しいのは、この付近で渡来時期前後越がO1Aじゃないか?といわれてる王の国があった事になる。他にも中国東北部に突っ込んだ渤海湾でO1B1の主流系統とは違うハプロが繁栄している。 ただ、この渤海湾のハプロは曹操の上位ハプロで中国南部に多いハプロとは系統がかなり昔に別れていて違う。当時から既にO1B1は多数派のハプロでは無いと

    古代中国とハプログループ
    goodstoriez
    goodstoriez 2018/11/20
    “ハプログループと民族の移動は面白いが、解けない謎になってしまったら知らなきゃ良かったって思う部分もある。日本は特に謎に満ち溢れた起源地が失われた民族ばかりで困ったものだ。”
  • 鎌倉武士は異世界へ 〜武士道とは鬼畜道と見つけたり〜 - 第二話 ヒラの鎌倉武士が戦をやる理由と熊みたいな山下家の棟梁さん

    山下家の屋敷を囲う柵を破壊し手勢を突き入れた我らが若き主人公 矢三郎は間髪入れずに2人の守衛を切り倒し、鎌倉武士の戦に於(お)いて、ある種テンプレートである命令を下した。 「…我が郎党ども、皆殺しだ!女は犯せ!宝は奪え!館だけは燃やすな!」 「「「おおおおおおお!」」」 ヒラの鎌倉武士とは金と快楽と殺しと名誉の為に戦をやっているような連中である。棟梁の領地拡大の野望を押し付けるセリフで鼓舞するよりも、目先の快楽を得る為の狼藉を許可するセリフの方が彼らの力はぐんぐんと湧いてくるのだ。 1日の3分の2を鍛錬と狩猟と人殺しに費やす矢三郎とその郎党は酒の入っていた庭の守衛をあっさりと討ち果たした。 郎党の一人が死体から甲冑を剥ぎ取りながら矢三郎に笑いかけて言った。 「お頭のご慧眼、見事で御座る!守衛どももこの日は油断しておった様子」 「はははっ、呑みたがりの山下がこのような日に郎党に酒を呑ませぬは

    鎌倉武士は異世界へ 〜武士道とは鬼畜道と見つけたり〜 - 第二話 ヒラの鎌倉武士が戦をやる理由と熊みたいな山下家の棟梁さん
    goodstoriez
    goodstoriez 2018/10/10
    “一騎打ちと思われがちだが基本的には集団戦が主である。むしろ一騎打ちが珍しいことだからこそ記録に残されているのだ。平安〜鎌倉の記録において確実に一騎打ちがあったと記されているのは、たった二つである。”
  • 鎌倉武士は異世界へ 〜武士道とは鬼畜道と見つけたり〜 - 第一話 エンジョイ!もののふライフ!

    ーーーーー 教訓その1 家よく作りては、何かはせん。庭草引くな、俄事のあらん時、乗飼にせんずるぞ。馬庭の末に生首絶やすな、切り懸けよ。 (家を継いだからには心がけねばならない。戦時に馬の餌にするのだから庭草はボーボーにしとけ。調練場の端には生首を常に絶やすな、人殺しも忘れるな) 教訓その2 此の門外通らん乞・修行者めらは、益ある者ぞ、蟇目鏑にて、駆り立て追物射とせよ。 (門前を横切ろうとする乞・坊主の類はとても有益なものだ。逃げ足が早いから弓の的として活用すべし) 教訓の総評…若者共、政澄、武勇の家に生まれたれば、其の道を嗜むべし。 (武士と生まれたからには上記の道を守って生きていくべし。) …鎌倉武士、それを端的に表す言葉、それは「蛮族」である。 ーーーーー 鎌倉時代のいつか 日列島の一応は幕府の支配の及んでいるどこか どかかっ、どかかっ、ざざざざざ 馬の蹄の音と十数人の足音、彼ら

    鎌倉武士は異世界へ 〜武士道とは鬼畜道と見つけたり〜 - 第一話 エンジョイ!もののふライフ!
    goodstoriez
    goodstoriez 2018/10/10
    “『何か問題が起こっても、相手の一族を皆殺しにしたあとなら問題にならない。だって告訴してくる相手が全員死んだ後だから』  …こんなルールがまかり通っているのが鎌倉武士社会”
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