2015年1月1日のブックマーク (2件)

  • 中島みゆきの「麦の唄」から聴こえるスコットランド民謡と唱歌のハーモニー

    で最もよく知られたスコットランドの歌は、「蛍の光」の原曲「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」だろう。 この歌の詩を書いたのは、貧しい小作農の家に生まれて農場で働きながら詩を作ったロバート・バーンズ、スコットランドが誇る国民的詩人として知られている。 バーンズは処女詩集の序文に、「これは上流階級の優雅と怠惰の中で、田舎の生活を見下して歌う詩人の作品ではない」と、農民詩人として詩に向き合う視点と矜持を記している。 日では唱歌として知られる「故郷の空」だが、バーンズが詩をつけた原曲の「Comin’Thro’the Rye(ライ麦畑で出会うとき)」は、ライ麦畑で出会う男女の性の営みを謳うおおらかな人間讃歌だ。 「オールド・ラング・サイン」が日に伝わったのは明治時代の初めだが、やはり「故郷の空」と同じく原詩と意味が異なる日語詞がつけられて、「蛍の光」という唱歌となっ

    中島みゆきの「麦の唄」から聴こえるスコットランド民謡と唱歌のハーモニー
    gosan503
    gosan503 2015/01/01
    紅白の慌ただしい舞台で生で歌って演奏したヴァージョンが、完璧を期したCDよりも素晴らしいなんて普通は起こりえない。中島みゆき、音楽監督の瀬尾一三、常に活動を共にするミュージシャンたちの奇跡でした。
  • 日本で最初のシンガー・ソングライター美輪明宏が歌った「愛の讃歌」

    「メケ・メケ」を日語でカバーした丸山明宏は、1957年にシャンソンを歌い上げる美貌の青年として登場した。メディアにたびたび取り上げられた22歳の丸山明宏は、作家の三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛したこともあって、一躍マスコミの寵児となった。 だがそんなブームは、わずか1年ほどで沈静化してしまう。自身が同性愛者である事を公表したことへのバッシングなどもあって、人気は急落してしまったのである。 「メケメケ」で成功する前からの知り合いだったジャズ・ピアニストの中村八大は、丸山明宏が美貌を看板にして売り出したことに不安を感じたという。 彼の服装や独特の言行から人々に与えた印象や、彼が意識してとった商品的ポーズは、彼が来持っている強い音楽への愛情、又心から歌を表現出来るえらばれた歌手だと言う事を、スポイルしてしまったと思うのです。率直に云って私は、もう彼の歌はだめになる……と思いました。 しかし

    日本で最初のシンガー・ソングライター美輪明宏が歌った「愛の讃歌」
    gosan503
    gosan503 2015/01/01
    美輪明宏は1963年に「第十八回芸術祭参加 丸山明宏作品集」というリサイタルを開催した。披露された二一曲はすべて、自分で作詞作曲した作品でした。日本で最初のシンガー・ソングライターは美輪明宏だったのです。