2015年8月7日のブックマーク (2件)

  • はっぴいえんどの「夏なんです」は日本語の歌詞にこだわった松本隆による“ラブソング”

    立教大学の学生だった細野晴臣の家に慶應大学に通う松隆が来て、ロックに日語は乗るのだろうかと、アルバム『ジャックスの世界』などを参考にしながら、勉強会に取り組んでいたのは1968年の秋のことだ。 1960年代末期から70年代の初頭にかけて、日語のロックが生まれて来た背景には、欧米のロックに刺激を受けて始まったグループ・サウンズへの反発と失望があった。 スパイダースやブルーコメッツ、ワイルドワンズ、タイガース、テンプターズ、そしてゴールデン・カップスなどのバンドが群雄割拠したグループ・サウンズは、ビートルズが来日した1966年の夏を境に動きが活発化し、翌年から一大ブームの様相を呈していた。 しかし、レコード会社や芸能プロダクションが主導していたために、ブームが過熱するにつれて数が限られたプロの作家が提供する作品ばかりがヒットし、人気が出たまではよかったが楽曲がパターン化して、売れ筋の歌謡

    はっぴいえんどの「夏なんです」は日本語の歌詞にこだわった松本隆による“ラブソング”
    gosan503
    gosan503 2015/08/07
    ピンク・フロイドが濃霧の箱根、はっぴいえんどは入道雲の夏。なぜか松本隆さんつながりのコラムです。
  • 濃霧に包まれた中でピンク・フロイドが「原子心母」を演奏した箱根アフロディーテ

    ”ロックは英語で歌うべきか、日語で歌うべきか”という論争が起こっていた1970年から71年にかけて、”ほんもののロック”を目指したロック・コンサートが、様々な会場で行われていた。 そんな中でウッドストック・フェスティバルにならった野外ロックフェスを開こうと、1971年8月6日と7日の2日間、ニッポン放送の主催で「箱根アフロディーテ」というイベントが実現した。 箱根芦ノ湖畔にある成蹊大学所有の敷地に、特設ステージが組まれたこのイベントの目玉はプログレッシブ・ロックの雄、初来日するピンク・フロイドであった。 邦題のネーミングのユニークさもあって、前年に出たアルバム『原子心母』が大ヒットしたピンクフロイドが、日でどんなライブを見せてくれるのか、ロックファンの期待は大きかった。 しかもイベントの3週間前、7月17日には激しい雷雨によって伝説となったグランド・ファンク・レイルロードの後楽園球場公

    濃霧に包まれた中でピンク・フロイドが「原子心母」を演奏した箱根アフロディーテ
    gosan503
    gosan503 2015/08/07
    1980年に同じ箱根で野外イベントを開催した時、ピンク・フロイドの話はいろいろな方からお聞きしました。懐かしい!