弥生の宝石箱 弥生のムラの宝石箱(褐鉄鉱、かってっこう)と宝石(勾玉、まがたま)。右側の土器片を蓋にして勾玉がおさめられていた 唐古・鍵遺跡は、2200年前の遺跡とされており、日本古代の中でも特に謎の多い時代の貴重な遺跡だ。 それ以前は古代大和湖の湿地帯または水中で、人は住むのは難しかっただろう。 ヤマタイコク・ヤマト説の中心「巻向(まきむく)桜井市」の北側近くにあるゆえ、史跡価値は一級品にもかかわらず(比較すると)注目度が低いように思う。 がんばれ!田原本町 ∩(´∀`)∩ 古代の宝石箱と宝石 唐古・鍵遺跡を紹介しようと考えた理由はいくつもあるが、そのひとつが今日のテーマ。 唐古・鍵遺跡史跡公園に行ったなら足を延ばしてほしいのが、唐古・鍵考古学ミュージアム(リンク先記事末に行き方) こじんまりしているが充実した展示物の中で目を引くのが、2200年前、弥生時代の「古代の宝石箱」と宝石の輝き
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