東京生まれ。父は東京学芸大学学長、青山学院大学学長などを務めた教育学者の村上俊亮。1953年東京大学教養学部教養学科イギリス科卒業。58年同助教授、のち教授。1961年、東京大学経済学博士。博士論文は『近代経済学の構造』[2]。 東大教養学部教授在任中の1988年、同学部社会科学科への中沢新一の助教授任用が教授会で否決される(東大駒場騒動)と、東大の閉鎖的体質を批判し、西部邁に続いて辞職した。 その後、国際日本文化研究センター[1](日文研)、国際大学各教授を歴任した。 1960年代は理論経済学、特に社会選択理論で世界的な業績を上げ、その成果は『Econometrica』などの有名雑誌の論文として掲載された。 1970年代は経済体制の研究を行ない、1973年論文「病める先進国」で吉野作造賞を受賞。 1980年、佐藤誠三郎、公文俊平との共著『文明としてのイエ社会』は、日本の歴史をウジ社会から