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2019年4月29日のブックマーク (2件)

  • 特攻兵器「桜花」設計者の苦悩 「亡くなるまで自責の念」 遺族提供の図面を公開(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    太平洋戦争末期、旧日軍が開発した特攻兵器「桜花」の設計図面や実験データなど未公開資料約30点を含む77点が26日、桜花の部隊があった大分県宇佐市で公開された。設計者の三木忠直氏(1909~2005)は戦後「二度と戦争に加担しない」とその知識を新幹線車両の開発などに注いだ。遺族が「自責の念に駆られ、苦悩していた三木の実像を知ってほしい」と資料を提供した。 【写真】設計者の三木忠直氏 桜花は単座で全長6メートル、総重量2トン。エンジンはなく、1・2トンの爆弾を機首に装填(そうてん)し、高度3千メートルで母機から切り離された後、ロケット噴射によって時速600キロ以上で搭乗員もろとも艦船に突入する特攻兵器。着陸装置はなく、いったん出撃すれば生還は不可能で「人間爆弾」とも呼ばれた。部隊は宇佐海軍航空隊に1945年2月から終戦まであった。 三木氏は香川県出身。旧東京帝大を卒業後、旧海軍の技術士官とな

    特攻兵器「桜花」設計者の苦悩 「亡くなるまで自責の念」 遺族提供の図面を公開(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
  • 人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz

    「桜花」――まもなく満開となる桜のことではない。戦時中の日軍の非常さを象徴する、生還不能の特攻兵器につけられた名である。大型爆弾に操縦席と翼、ロケットをつけ、母機から放された瞬間に搭乗員の死が約束されるこの兵器は、敵の米軍にとって理解不能だったようで、彼らは「Baka Bomb(馬鹿爆弾)」と呼んでいた。 この兵器を発案した男は、終戦直後に死亡したとされたが、生存説もささやかれ、長らくその消息は謎に包まれていた。だが、5年前、遺族から神立さんへ一報があり、戦後、別人として生きてきた詳細な軌跡が判明する。 「特攻兵器『桜花』の生みの親」という過去を消し去って生きた男は、どのような後半生を送っていたのか? 特攻兵器「桜花」の初陣は全機撃墜された いまから74年前、昭和20(1945)年3月21日午前11時20分。鹿児島県の鹿屋海軍航空基地から、「神雷(じんらい)部隊」の異名をもつ第七二一海軍

    人間爆弾・桜花を発案した男の「あまりに過酷なその後の人生」(神立 尚紀) @gendai_biz