「美ら海水族館に行きたい」 「友達ときれいな珊瑚礁を見たい」 17歳の娘が沖縄の研修旅行で「Fコース」を選んだ理由として、父親はnoteにそう記している。 読んでいて、胸が詰まった。あまりにも普通の、あまりにも自然な動機だからだ。 政治的信念でもなければ、社会運動への共感でもない。 きれいな海を見たい。友達と行きたい。 高校生として、あまりにもまっとうすぎる選択だった。 ところがその先にあったのは、遊覧のように見える海上体験ではなく、辺野古移設反対運動と地続きの「抗議船」だった。 しかも安全確認は不十分、引率教員は同乗していなかったという。 遺族が「異質すぎる」と書くのは当然だと思う。 いや、むしろこの言葉はかなり抑制されている。普通に読めば、「どうしてこうなった」としか言いようがない。 この事故について考えるとき、私たちはつい“個別の悲劇”として消費してしまう。 気の毒だった。痛ましい。

