徳川家康の謀臣・本多正純が没 今日は何の日 寛永14年3月10日 寛永14年3月10日(1637年4月5日)、本多正純が没しました。父・本多正信とともに、徳川家康の謀臣であった人物です。 本多正純の父・正信は、家康の家臣でありながら三河一向一揆で一揆方についてそのまま出奔、諸国をめぐったといわれます。その間、息子の正純は家康臣下のもとで保護され、父・正信が徳川家に帰参が叶うと、正純も家康の側近くに仕えるようになります。 正純は関ケ原の合戦にも出陣し、敵将・石田三成の身柄を預かりました。偶然ですが、その後の正純はどこか三成と似ています。征夷大将軍、さらに大御所となった家康が最も重用する能臣であった正純は、やがて下野国小山藩3万3000石の大名に取り立てられ、二代将軍秀忠の補佐役・大久保忠隣の政敵となりました。そして慶長19年(1614)には、大久保長安事件で忠隣を失脚させています。 大坂の陣