小田原地区は大規模な絨毯爆撃こそ受けることはなかったが、小規模な空襲は数度あった。 そして関東地方を空襲した米軍機の帰路にあたるために、たびたび予定計画外の空襲(余剰爆弾の投下)を受けることがあった。 8月15日、終戦の日。 米軍は熊谷・伊勢崎・秋田土崎に空襲を実行した。 この3都市が「最後の空襲」として取り上げられるが、計画外の空襲を最後の最後に受けたのが小田原だった・・・ そんな小田原市内に点在する空襲の爪痕を巡ってみたいと思う。 合掌 太平洋戦争の爆弾着弾跡(蓮上院土塁) 戦国時代の小田原北条氏が築いた土塁に、昭和時代の太平洋戦争の傷跡が残る貴重な史跡&戦跡。 太平洋戦争の爆弾着弾跡 太平洋戦争が終わりに近づくにつれ、日本各地でB29爆撃機などによる空襲が激しくなってきました。 小田原市でも、昭和20年4月以降終戦まで、たびたび空襲を受けました。 そして、戦争終結直前の8月13日の午
