今日は、なすについての2回目です。 江戸っ子は茄子がー好みにあったのか、初茄子を珍重し、促成栽培が行われるほどでした。 このため、初物の規制により、売り出し期日が4月からと決められていました。 その江戸っ子が珍重した初茄子は高価であるとともに小型でもあったようです。次のような川柳があります。 目へ這入るほどで 目の出る 初茄子(はつなすび) 初茄子(はつなす)は 富士に縁ある 高根なり ちいさくて 口にはいらぬ 初茄子(はつなすび) その初物のなすを食べて、冷害を予測したのが、二宮尊徳です。 二宮尊徳は、小田原藩領の農家の出身ですが、生家の再興した後、小田原藩家老服部家の財政再建に成功したのを小田原藩主大久保忠真に見込まれ、小田原藩大久保家の分家である旗本宇津家の桜町領の再建を任されていました。 再建がとりあえず成功した後の天保3年の夏の初め、二宮尊徳は食べたなすの味がいつものな
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