いつもと変わらない、しょうゆのある日常。 ある日突然、この国から、 “しょうゆ” が消えてなくなってしまう。 なんと、人々の記憶からも。 しかし、高校生のトシキは、その存在を覚えていた。 もしも、この国にしょうゆがなかったら――。
「Good Housekeeping」の保証 アメリカの婦人家庭雑誌『Good Housekeeping(グッド・ハウスキーピング)』は1909年(明治42年)以来、食品を含む市販の家庭用品を消費者の立場から厳重にテストし、もっとも優れたものに「Good Housekeeping」の保証シールを与えてきました。1964年(昭和39年)、同誌の要望により当社は輸出用しょうゆとテリヤキ・バーベキュー・マリネードのラベルに「Good Housekeeping」の保証シールを貼付することになり、その結果「KIKKOMAN」に対するアメリカ人の信頼感をさらに高めることとなりました。こうして「ALL-PURPOSE SEASONING」に次いで、アメリカのマスコミから高い評価を得ることになったのです。以来、同誌の承認を得て保証マークをラベルに印刷することとなりました。 中西部での販売活動 ニューヨーク
第二次大戦終結後、日本は食糧不足で、しょうゆの原料となる小麦や大豆などは大幅に不足した状況にありました。化学的に製造したアミノ酸液で醸造しょうゆを増量した「アミノ酸液混合しょうゆ」や食塩水をしょうゆの搾り粕で着色した「代用しょうゆ」なども出回っていたのです。 1948年(昭和23年)になって調味料の原料として大豆ミールが放出されることが決まり、醸造しょうゆ業界とアミノ酸業界へどのように配分するかが問題となりました。当初、GHQ(連合国軍総司令部)経済科学局では原料の歩留まりと製造期間を重視し「醸造しょうゆ業界2、アミノ酸業界8」の比率で原料を配分することを内定しました。 しかし、当時GHQの担当官だったアップルトン女史は、当社が「新式2号醤油製造法」を開発したことを聞き、「消費者の希望を調査した上で配分の決定をし直そう」という上申書を局長のマーカット少将に提出しました。上申書が採用されて調
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