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ブックマーク / www.nttcom.co.jp (7)

  • ノザキのコンビーフ ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    日東品製造が試作に使った陶器の壷。日高式壷と呼ばれた。 初代「ノザキのコンビーフ」。アンカー瓶と呼ばれるガラス容器に入っていた。 サンドイッチやサラダは定番。野菜炒めや炒飯とは相性ぴったり。オムレツや卵焼きとの組み合わせもなかなか。コンビーフは、そんな幅広い使い方ができる畜肉缶詰の代表格だ。大和煮や焼き鳥など畜肉缶詰にはいくつもの種類があるが、材として使えるという点ではコンビーフが一番かもしれない。 コンビーフの英語表記は"corned beef"で、意味は「塩漬けの牛肉」。日のコンビーフは牛肉の塊を塩漬し、蒸してほぐした後、用油脂や調味料などを混ぜたものが主流。塩漬け肉は保存として古くからあったが、缶入りのコンビーフになったのは19世紀に入ってから。欧米ではまず軍用として利用され、次第に一般に広まっていった。 日でコンビーフと言えば、真っ先に思い浮かぶのは「ノザキのコンビー

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    gui1 2023/06/01
    “かつては200gだった容量は数度の変遷を経て、単身世帯でも使いやすい100gに落ち着いた。” (´・ω・`)
  • 三菱鉛筆ユニ ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    創業者の眞崎仁六。1925(大正14)年に色鉛筆を製造販売していた「大和鉛筆」と合併し、「眞崎大和鉛筆」を設立。52(昭和27)年、社名を「三菱鉛筆」に改めた。 子供の頃、その鉛筆は憧れの的だった。茶色ともエンジ色ともつかない不思議な塗り色。円錐形の先端と、ゴールドの刻印文字。とにかくカッコよかった。プラスチックのダース箱が筆箱を兼ねており、ちゃんと消しゴムも入っている。 先に手に入れた友だちが羨ましくて仕方なかった。値段が高いのは知っていたが、親にねだって買ってもらった。カバンに入れた時、少しだけ自分が大人になったような気がした。 「三菱鉛筆ユニ」。高度経済成長期に小中学生だった世代にとって、これほど深く少年期の思い出と結びついた鉛筆は、他にない。 ユニが誕生したのは1958(昭和33)年。かれこれ50年近いロングセラー商品になる。ユニが登場する以前、日の鉛筆事情はどのようなものだった

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    gui1 2019/02/03
  • レーダー ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    青いケース(スリーブ)に入った、真っ白なプラスチック消しゴム、シードの「レーダー」。と聞いて、スリーブに描かれた「Radar」のロゴをすぐに思い出せる人は、おそらく関西出身に違いない。 レーダーを作った株式会社シードは、大阪の都島区にある。ずっと関西を中心に販売展開してきたため、関東ではレーダーの名もシードの名も意外と知られていないようだ。子供の頃に馴染んだレーダーを東京でほとんど見かけないので、不思議に思っている関西出身の読者は、案外多いのではないだろうか。「あの有名なレーダーをなぜ売ってないんだろう?」と。 シードは1915(大正4)年の創業。当時は三木康作ゴム製造所という社名で、天然ゴムを加工し、ゴムチューブやマット、ホースなどを作っていた。消しゴムも作っていたが、数多い生産品の中のひとつに過ぎなかった。 この頃の消しゴム市場はどのようなものだったのか。明治政府が義務教育を制度化した

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    gui1 2018/04/14
  • シウマイ弁当 ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    崎陽軒初代社長となった野並茂吉。晩年は「シウマイ王」と呼ばれた。崎陽軒の名は創業者の出身地である長崎の別称「崎陽」に由来する。 発売当時の「横浜名物シウマイ」。シューマイではなくシウマイなのは、栃木生まれの茂吉の訛り説、中国の発音説、"旨い"含意説など諸説ある。 初代「シウマイ弁当」。かけ紙のデザインは今とは大きく異なっている。 鉄道旅行の楽しみの一つに駅弁がある。富山駅の「ますのすし」、横川駅の「峠の釜めし」、函館線森駅の「いかめし」…有名どころは数々あれど、首都圏で最もよく売れている駅弁と言えば、それはおそらく崎陽軒の「シウマイ弁当」だろう。 東京や新横浜から新幹線に乗る出張族にも人気が高く、車内ではビールを飲みながら「シウマイ弁当」をべているサラリーマンをよく目にする。また、崎陽軒は駅構内の店舗だけでなく首都圏のデパートなどにも店舗を出しており、そこで「シウマイ弁当」を買う人

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    gui1 2016/12/02
  • 明治製菓 カール ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    スナック菓子作りには欠かせない機械、エクストルーダー。カールの作り方は昔も今も基的には変わっていない。 「いいもんだ~なぁ~、ふるさとぉ~は~♪ それにつけてもおやつはカール♪」 カールをべると、いつもこの歌を思い出す。そして、麦わら帽子を被った不思議なおじさんも。 キャラクターが立っているお菓子は珍しくないけれど、カールほどその世界観が一般に浸透しているスナック菓子はほかにない。あのクルッと丸まった形とチーズの味、ほのぼのしたイメージのTVCM、どこかのんびりしたCMソングが、記憶の中ですべて一直線に結び付いている。年齢や性別の枠を超えて愛されている、スナック菓子の代表的存在。 そのカール、誕生からそろそろ40年になろうとしている。立派なロングセラー商品だ。 今も昔も、明治製菓の主力菓子はチョコレート。同社が1950~60年代にかけて発売した「ミルクチョコレート」や「マーブルチョコレ

  • 三菱鉛筆ユニ ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    創業者の眞崎仁六。1925(大正14)年に色鉛筆を製造販売していた「大和鉛筆」と合併し、「眞崎大和鉛筆」を設立。52(昭和27)年、社名を「三菱鉛筆」に改めた。 子供の頃、その鉛筆は憧れの的だった。茶色ともエンジ色ともつかない不思議な塗り色。円錐形の先端と、ゴールドの刻印文字。とにかくカッコよかった。プラスチックのダース箱が筆箱を兼ねており、ちゃんと消しゴムも入っている。 先に手に入れた友だちが羨ましくて仕方なかった。値段が高いのは知っていたが、親にねだって買ってもらった。カバンに入れた時、少しだけ自分が大人になったような気がした。 「三菱鉛筆ユニ」。高度経済成長期に小中学生だった世代にとって、これほど深く少年期の思い出と結びついた鉛筆は、他にない。 ユニが誕生したのは1958(昭和33)年。かれこれ50年近いロングセラー商品になる。ユニが登場する以前、日の鉛筆事情はどのようなものだった

  • ぺんてる サインペン ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    メモ書きや宛名書きの時に欠かせない筆記具、サインペン。実は「サインペン」はぺんてるが名付けた固有名詞なのだが、現在は一般名詞化しているため、各文具メーカーから様々な「サインペン」が発売されている。 それでも、サインペンと聞いて誰もがまず思い浮かべるのは、クリップ付きキャップ、六角形の軸、ベージュの尾栓が付いた、ぺんてるのサインペンではないだろうか。 「これって昔からこの形だよなあ。もしかしたらこれが元のサインペンなのかも」 今回の取材は、そんな疑問から始まった。 今では総合文具メーカーとして知られているぺんてる(当時の社名は大日文具株式会社)が創業したのは、1946(昭和21)年の事。戦後の美術教育に力を入れ、絵の具やクレヨンを開発して数々のヒット商品を世に送り出していた。 60(昭和35)年には、世界初のノック式シャープペンシル「ぺんてる鉛筆」と油性ペン「ぺんてるペン」を発売し、

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    gui1 2012/10/21
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