日常的に食べられていないし残飯になるしさほど美味いものでもない。地元で育ったという同年代に聞いても、給食で食べたことがあるけどアレはまずかった、家では作らない、その程度の認識しか残さない。 家庭で作られなくなった料理を、伝統だからと無理やり残す必要はあるのだろうか?給食からは絶対にソウルフードは生まれないと思う。
人に優しくされたければまずあなたが人に優しくしなさい。大いに結構。 人に好かれて悪い気のする人間などいない。大いに結構。 世の中には返報性の原理っていうものがあるらしくて、例えば好意の返報性つってな、人に好意を向けられるとこちらも好意を返さなくてはなって思うのが自然なことだそうだ。俺もパンなんか貰っちゃうと集めてるかっこいい形の石をお返しにあげたくなるもんな。だってパンうまいもんだからパン貰っちゃったらすべすべの石をあげたくなるのが人情じゃん。 それでこの返報性の原理っていうのは文脈によっちゃ処世術つまり世渡りのコツとして紹介されることがあるわけだけれども、それだって大いに結構。一人じゃ生きられないこの世の中、人と楽しくやるのはどうかすると何より大事だと言ったっていいくらいだ。それ自体はいいんだけど、返報性の原理でやり取りするのって好意だけで十分ですよね。好意には好意だけを返せば十分ですよ
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