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日本の認知症診療の第一人者として知られ、みずからも認知症になったことを公表していた精神科医の長谷川和夫さんが今月13日、老衰のため亡くなりました。92歳でした。 長谷川さんは愛知県出身で、大学を卒業後、精神科の医師となり1973年に聖マリアンナ医科大学の教授になりました。 1974年には、認知症の疑いがあるかを調べるテスト形式の検査「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発し、その後、改訂されたこの検査は今も診療の現場で広く使われています。 長谷川さんは80代半ばまで現場で診療を続けながら認知症の人の尊厳を守る活動にも取り組み、2004年には厚生労働省の検討会の委員として当時の「痴呆」という用語を「認知症」に変更するのに貢献しました。 4年前には自身が認知症になったことを公表しましたが、その後も各地で講演を行うなど認知症の人への理解を深めるために精力的に活動していました。 長谷川さんが名誉セン
9月11日(日)に科学技術館(東京)で、去年38歳の若さで亡くなった人気声優・松来未祐さんを悼む会が開かれます。 『会えなくて「哀しい」気持ちを育てるより、彼女を「愛しい」という気持ちをみんなで大切にする時間を作りたい』という思いから「愛悼イベント」と名付けられました。 松来未祐さんイベントの目的のひとつは、松来さんの命を奪った慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)の啓発や、研究の支援をすることです。 「EBウイルス」とは聞きなれない言葉ですが、実は20代の人で90%以上が感染しているとても身近なウイルスです。 通常は感染しても悪さをせず、体内で潜伏し続けるのですが、まれに病気を引き起こすことがあり、その一つがCAEBVです。 現在、全国で年間およそ23.8人の発症があると報告されており(平成21年厚労省研究班)、以前は子どもの病気とされていましたが、最近では大人から高齢者まで幅広い年
病気はなぜ見つからなかったのか。昨年10月に38歳で亡くなった人気声優、松来未祐(まつき・みゆ、本名・松木美愛子=みえこ)さんの両親が、娘の命を奪った「慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)」の周知と難病指定を願い、伏せていた病名の公表に踏み切った。EBウイルスは日本人の成人の9割以上が保有しているとされるが、発症はまれ。医師の間でもあまり知られておらず、松来さんは通院を繰り返しても感染判明まで1年以上かかった。公表は松来さんの遺志でもあった。 広島県内に住む父の松木孝之さん(69)と母智子さん(68)によると、松来さんが最初に体調不良を訴えたのは2013年ごろ。夜中になると39度台の高熱に苦しんだ。昨年正月の帰省時には、首のリンパ節が腫れ上がり疲労を訴えた。東京都内の複数の病院を受診し、がんの検査も受けたが、診断はいつも「異常なし」だったという。
小説「アルジャーノンに花束を」で知られる作家ダニエル・キイスさんが現地時間15日、死去したとLocus Onlineが報じた。 ダニエルさんは1927年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。雑誌の編集者、コミック原作者、ファッションフォトグラファーなどを経た後、小説家としてデビューした。超知能を手に入れた青年の悲哀を描いた小説「アルジャーノンに花束を」は1959年に中編小説として発表され、1966年に長編化された。同作は『まごころを君に』(1968)として映画化されたほか、日本でも2002年にユースケ・サンタマリア主演でテレビドラマ化されるなど、ダニエルさんの代表作となった。 ほかの小説作品には「五番目のサリー」など。1981年には解離性同一性障害を主題にしたノンフィクション「24人のビリー・ミリガン」を発表し、大きな話題になった。 1966年からオハイオ大学で英文学・創作を教えており、2000
実験室で学生らとともに「ピッチドロップ実験(Pitch Drop Experiment)」の装置を囲むジョン・メインストーン(John Mainstone)教授(撮影日不明、2013年8月26日提供)。(c)AFP/University of Queensland / Christian Aas 【8月26日 AFP】「世界で最も長いラボ実験」を行っていたオーストラリアの科学者、ジョン・メインストーン(John Mainstone)教授が前週死亡したと、所属していた豪クイーンズランド大学(University of Queensland)が26日、発表した。78歳。脳卒中だという。 メインストーン教授はクイーンズランド大の物理学部の前学部長で、1927年にトーマス・パーネル(Thomas Parnell)教授が始めた「ピッチドロップ実験(Pitch Drop Experiment)」の監督
目に見えない磁気の力、磁力を電子を利用して観測できる新しいタイプの電子顕微鏡を開発し、ノーベル物理学賞の候補とされていた日立製作所フェローの外村彰さんが、2日、埼玉県内の病院で亡くなりました。70歳でした。 外村さんは東京都の出身で、昭和40年に東京大学理学部を卒業したあと日立製作所に入社し、一貫して電子顕微鏡の開発に取り組みました。 昭和53年、極めて短い波長を持つ電子の性質を利用した「ホログラフィー電子顕微鏡」と呼ばれる新しいタイプの電子顕微鏡を世界で初めて開発しました。 この顕微鏡は電子が磁力によって影響を受ける様子を捉えることで、その場所に働いている磁力を目に見える形で観測できるもので、電子顕微鏡の可能性を大きく飛躍させました。これによって、超電導の研究や磁気による記録媒体の開発などを目に見える形で行うことができ、この分野で欠かせない技術となっています。 さらにこの技術を応用して、
フラクタルの概念を提唱したブノワ・マンデルブロ博士が 14 日、マサチューセッツ州のケンブリッジで亡くなられた。85 歳 (47NEWS の記事、The New York Times の記事より) 。 博士の妻、アリエットさんによれば膵臓がんを患っていたという。博士はカリフォルニア工科大学で航空力学の修士号を得たあと、パリ大学で 1952 年に数学の博士号を取得。その後、プリンストン高等研究所にてジョン・フォン・ノイマンの下で研究を行った。それからしばらくはフランス国立科学研究センターで過ごした後、1958 年に IBM のトーマス・J・ワトソン研究所に雇われ、IBM に所属している間もハーバード大学や MIT の客員教授として働いていた。1987 年にイェール大学で教鞭を取り始め、1999 年にテニュアを取得。日本との絡みで言うと、1994 年に本田賞、2003 年に日本国際賞を受賞して
2010年10月16日21:43 カテゴリ本科学/文化 ベノワ・マンデルブロ 1924-2010 マンデルブロが死去したようだ。今のところTyler Cowenなどのブログ記事しか情報源がないが、彼の親友だったTalebのホームページに告知があるので間違いないだろう。 マンデルブロは、アインシュタインやフォン=ノイマンと並ぶ20世紀最大の科学者だが、自分を「経済学者」と呼んでいた。フラクタルの概念も、彼が株価のチャートを見ているとき気づいた自己相似性が出発点だった。本書はそれをコンピュータを使って理論化した古典である(絶版)。『禁断の市場』は彼の理論を経済に応用してやさしく解説したもので、その後の金融危機を見事に予告している。 経済学が市場の動きを予測できる実証科学になるためには、古典物理学をモデルにした古い解析的な手法を卒業して、マンデルブロの開発した計算論的な手法を活用する必要があろう
数学者で時事問題にも鋭い視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅(もり・つよし)さんが24日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。82歳だった。2009年2月27日、自宅で料理中にコンロの火が服に燃え移り、重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。 東京都生まれ。東京大理学部で数学を専攻。卒業後、北海道大助手などを経て1957年に京大助教授、71年から同教授。京大教員時代からテレビに出演し、関西弁の独特の語り口が評判になった。91年に退官後、講演や執筆活動のほか、テレビのコメンテーターでも幅広く活躍した。 画家の安野光雅さんとの話を収めた「対談 数学大明神」や「異説 数学者列伝」など著書も多数ある。
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