先日の雲子さんの牛金毒殺の記事から、twitterで派生した話題に関連しまして、「東晋元帝は牛氏の出身である」という説話が正史資料でいかなる変遷をたどっていたか、資料の成立順にまとめてみました。 ○王隠『晋書』(『太平御覧』巻七六一引) 宣帝 既に公孫淵を滅して還る。榼の兩口なるを作り、二種の酒あり、馬上に持ち著はす。先に佳酒を飲み、口を塞ぎて毒酒を開き牛金に與ふ。金飲みて死す。 宣帝(司馬懿)が公孫淵を滅ぼして帰還した。(そして)両口の酒器を作り、二種の酒をそそぎ、馬上でそれを持ちささげた。先に宣帝がよい酒を飲み、(よい酒の)口を塞ぎつつ毒酒の(口を)開いて牛金に与えた。牛金はそれを飲んで死んだ。 王隠『晋書』では司馬懿が牛金を毒殺したことがあるのみで、その理由などには触れられていないように思われます。 本書は元帝の勅命で編纂された資料ですから、元帝の醜聞になる「牛金父親説話」は載せられ