gurenekoのブックマーク (319)

  • 牛氏と東晋元帝にまつわる正史記事 - 三国与太噺 season3

    先日の雲子さんの牛金毒殺の記事から、twitterで派生した話題に関連しまして、「東晋元帝は牛氏の出身である」という説話が正史資料でいかなる変遷をたどっていたか、資料の成立順にまとめてみました。 ○王隠『晋書』(『太平御覧』巻七六一引) 宣帝 既に公孫淵を滅して還る。榼の兩口なるを作り、二種の酒あり、馬上に持ち著はす。先に佳酒を飲み、口を塞ぎて毒酒を開き牛金に與ふ。金飲みて死す。 宣帝(司馬懿)が公孫淵を滅ぼして帰還した。(そして)両口の酒器を作り、二種の酒をそそぎ、馬上でそれを持ちささげた。先に宣帝がよい酒を飲み、(よい酒の)口を塞ぎつつ毒酒の(口を)開いて牛金に与えた。牛金はそれを飲んで死んだ。 王隠『晋書』では司馬懿が牛金を毒殺したことがあるのみで、その理由などには触れられていないように思われます。 書は元帝の勅命で編纂された資料ですから、元帝の醜聞になる「牛金父親説話」は載せられ

    牛氏と東晋元帝にまつわる正史記事 - 三国与太噺 season3
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    gureneko 2013/05/05
    勉強になりました。
  • 仰木の里では見聞きしてきたこと - 幸福の観測所

    先日、再び仰木の里へ行き、反対の人たちのお話を聞く機会がありました。 まず、駅を降りて階段を上ったところにあるのぼりのポールが、このように折り曲げられているのを見つけました。 私も触ってみたところ、鉄製のポールで、ちょっとやそっとじゃ折り曲がらないぐらい固いものでした。物凄い力で折り曲げられたようです。 私は当然住民の方に連絡しまして、その後、警察に通報され、実況見分などもされたようです。 KK信者や職員の仕業か、それとも愉快犯の仕業か、特定はできませんが、KK関係者が疑われるのは無理もないことです。 また、建設後も経ち続けているのぼりに関しては、KK関係者は「住民による子供たちに対するいじめである」というようなことを主張し始めているようです。関西校設立までの自分たちの強引な振舞いや住民軽視(またはあからさまな敵視)の姿勢を棚に上げ、子供を楯にして反対運動を沈静化させようという、非常に狡い

    仰木の里では見聞きしてきたこと - 幸福の観測所
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    gureneko 2013/04/22
    幸福の科学学園関西校関連の諸情報。
  • ネグリの講演会 - 恐妻家の献立表blog

    このところ忙しくしていて、ブログを書く気分にならない。忙しいのも景気のよい忙しさなら調子に乗って何か書き飛ばす気にもなるが、斜陽産業の片隅で生き残りをはかる身の上なので、今朝も近所の関連業者が仕事場をたたんでいたのを知って気が重くなった。 そんな中、先週の金曜日に、が「たまには勉強してきなさい」と、アントニオ・ネグリの講演会に行かせてくれた。 こういうイベントでもないとブログを書く気力も湧かない、せっかくなのでネタにする。もっとも講演の内容は、直近に翻訳が出た『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言 (NHKブックス)』とかぶるし、ユーチューブだかなにかでも放映されたそうなので端折る。 個人的に印象に残ったことだけメモする。 会場は財閥のお庭に建てられたホールで、六木の高層ビルを見上げる立地。ここでネグリの話を聞くというのもなんだか皮肉に感じた。 冒頭、主催者側の代表である元国連高官氏の挨

    ネグリの講演会 - 恐妻家の献立表blog
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    gureneko 2013/04/17
    ネグリの講演会の様子。年齢については、同じ理由で驚かされた。
  • 脱退者のディスクール - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『真風碧の党』http://blog.goo.ne.jp/midori-bora-kouya *2 「緑の党(三橋派)」*3の脱退者による告発(?)blog。勿論或る種のバイアスがかかっていることは確実だろうけど、俗にカルトと謂われる内閉的な集団(組織)については、脱退者*4の語りからしかその内実が明かされないということはあるだろう。北朝鮮の内側については脱北者*5の語りからしか明らかにならず、統一協会やオウム真理教の内実も脱会者の語りを通じてしか理解できない。 このblogが引用しているので知ったのだが、2ちゃんねるでも「緑の党(三橋派)」の元メンバーらしき人が参加するスレッドが立っているんだね。俺はインターネットにおける匿名性については概ね否定的だけど、所謂〈カルト〉経験というのはライフ・ヒストリーへの統合が困難であるので(cf. 樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』)*6

    脱退者のディスクール - Living, Loving, Thinking, Again
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    gureneko 2013/04/16
    東急多摩川線に乗っていると、自然に目に入ってくる、あの党の話。
  • 映画『I'M FLASH!』レビュー - 幸福の観測所

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    gureneko 2013/03/31
    幸福の科学っぽい宗教が登場するらしい映画。いつか観賞する予定。
  • 孺子 - てぃーえすのメモ帳

    太子有妃、有良娣、有孺子、妾凡三等、子皆稱皇孫。 (『漢書』巻九十七上、外戚伝上) 漢代、太子の妾の位の一つに「孺子」というのがあった。 この「孺子」という語は「孺子嬰」がそうであるように「子供」を意味し、「小僧っ子」みたいな一種の蔑称として使われることもあったようだ(張良、陳平が「孺子」と呼ばれている)。 「子供」が妾の位の号として使われるってどういうことなんだろう。 ロリか?ロリなのか? それとも、「ベイビー」という言葉が文字通りの「赤ん坊」という意味にも、花輪くんがよく使っているように「ボクのカワイ子ちゃん」的な意味にもなるようなものなのだろうか。

    孺子 - てぃーえすのメモ帳
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    gureneko 2013/03/27
    「漢代、太子の妻妾の位の一つに「孺子」というのがあった。」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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    gureneko 2013/03/13
    重要→「「黙秘をしているといつまでも帰れないぞ」と迫られますが、「黙秘しなければ、今すぐ帰す」とは言っていないので、引っかからないように。」
  • 2013年03月09日のつぶやき - 思いて学ばざれば

    2013年03月09日のつぶやき - 思いて学ばざれば
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    gureneko 2013/03/10
    夏侯惇が呂布に寝返ったという説。
  • 王莽八つの誓い - てぃーえすのメモ帳

    大司馬護軍襃奏言「安漢公遭子宇陷於管蔡之辜、子愛至深、為帝室故不敢顧私。惟宇遭辠、喟然憤發作書八篇、以戒子孫。宜班郡國、令學官以教授。」事下羣公、請令天下吏能誦公戒者、以著官簿、比孝經。 (『漢書』巻九十九上、王莽伝上) 王莽は漢の平帝の後見人として「安漢公」なる地位に就いた。 だがその長男の王宇は父の方針を良く思っておらず、方針変更させるために怪奇現象をでっちあげようとした。 しかしそれは発覚し、王宇とその一党は逮捕された。 王宇は父によって自殺させられ、一党は残らず処刑された。 その後、王莽はこの事件を反省し、「子孫を戒める書」八篇を作ったのだそうだ。 まあそのこと自体は別にいいのだが、王莽(大司馬)直属の官である護軍はこう上奏した。 「安漢公の作った「子孫を戒める書」は素晴らしいので全国各地に広め、専門の教師を置いて学ばせるようにしましょう」 それを受けた大臣たちは、この「子孫を戒め

    王莽八つの誓い - てぃーえすのメモ帳
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    gureneko 2013/03/10
    王莽八つの誓い
  • 劉備の故郷、楼桑村 - 雲子春秋

    ちょっとまえにつぶやいたが、私は恥ずかしながら劉備の故郷の楼桑村が『三国演義』あるいはそれに先行するなんらかの三国志物語の創作であると認識していた。 ところがどっこいすっとこどっこい『水経注』にそれはあった。 『水経注』巻十二、巨馬河 又東逕涿縣酈亭樓桑里南,即劉備之舊里也。 *1 涿県の酈亭という所には楼桑里という所があって、劉備の故郷であるという。 楼桑里、すなわち楼桑村は存在したのだ!! 『水経注』は前漢〜魏くらいに書かれたという成立年代が不明確な『水経』という書物に、北魏の酈道元という人が注釈したものである。 北魏頃には、劉備の故郷が楼桑里であったと伝えられていた。 『演義』などの創作だと思ってることも案外どこかに典拠があったりするのね。 梅林の話も『世説新語』にある話だし *1:書き下し:又た東に涿縣、酈亭、楼桑里の南を逕、即ち劉備の旧里なり。

    劉備の故郷、楼桑村 - 雲子春秋
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    gureneko 2013/03/10
    「楼桑里、すなわち楼桑村は存在したのだ!!」
  • 「『護憲』も『改憲』もない」小沢一郎「日本国憲法講義」の支離滅裂(笑) - kojitakenの日記

    今週号(3/15号)の『週刊朝日』に下記の短い記事が出ている。 講義中に居眠り姿が続々と 迫力無くした小沢氏 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット) 講義中に居眠り姿が続々と 迫力無くした小沢氏 2月28日の施政方針演説で「憲法改正に向けた国民的な議論を深めよう」と呼びかけた安倍晋三首相に対抗し、小沢一郎生活の党代表(70)が同日、所属国会議員らを対象にした「日国憲法講義」を開いた。会場には、生活の森ゆうこ代表代行(56)や谷亮子参院議員(37)など一部の側近は姿を見せたものの、秘書の代理出席が目立ち、記者もまばら。 「晋三さんの、96条改正だけを先にやってみたいというのは、学問的、論理的、理念的にへんちくりんな議論だと思う」 小沢氏は首相の改憲構想を一刀両断にしてみせたが、質疑応答で森氏から、「日維新の会の石原慎太郎共同代表のような『(連合国に押しつけられた)今の憲法を捨

    「『護憲』も『改憲』もない」小沢一郎「日本国憲法講義」の支離滅裂(笑) - kojitakenの日記
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    gureneko 2013/03/08
    新憲法無効説を唱える小沢が石原新太郎の新憲法無効説を攻撃。理由は生理的なもの。
  • 漢の漢たちを語る14「貨幣経済なんて飾りです」:貢禹 - てぃーえすのメモ帳

    このままフェードアウトすると思った?残念さやかちゃんでした! 前漢の後半期は、王莽はもちろんだがそれ以前から制度改革の連続であった。 たぶんその流れは儒者が政界に繁殖していくのとリンクしている。 そして、その中でも特筆すべき存在の一人が貢禹である*1。 貢禹は漢の元帝即位時に元帝が臣下から意見を求めた際にデビューを果たす。 唯陛下深察古道、從其儉者、大減損乘輿服御器物、三分去二。子産多少有命、審察後宮、擇其賢者留二十人、餘悉歸之。及諸陵園女亡子者、宜悉遣。獨杜陵宮人數百、誠可哀憐也。廄馬可亡過數十匹。獨舍長安城南苑地以為田獵之囿、自城西南至山西至鄠皆復其田、以與貧民。 ・・・(中略)・・・ 天子納善其忠、乃下詔令太僕減穀馬、水衡減肉獸、省宜春下苑以與貧民、又罷角抵諸戲及齊三服官。遷禹為光祿大夫。 (『漢書』巻七十二、貢禹伝) 彼は上奏の中でこんな提言をする。 「陛下は倹約を旨とすべきで

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    gureneko 2013/03/05
    大胆な貢禹さんの巻。
  • アスペだけど、「差別語っていくらでも作れるんだよ」と言う人に反論してみた - yuhka-unoの日記

    『アスペだけど、差別語について考えてみた』の続き。 差別について思い付いた事など… - 駄文な駄文 - もしくはBlogのように見えるモノ - まぁASD48は冗談だけど、それがどうかしたの?そういう問題じゃないんだよ。 例えば、「野比のび太」という名前の人がいたとする。周りの人が、彼のことを「ノビー」と呼ぶようになった。これが普通に親しみを込めたニックネームとしての呼び方なら、彼も悪くは思わないだろう。ところが、そのうち嘲笑混じりに「ノビー(笑)」と呼ぶ人が出てきて、その人数は増えていった。彼が「そういう呼び方はやめろ!」と言っても、「なんで?ただの愛称じゃん。悪く思うほうがおかしいよ」と言って、聞き入れてくれない。これは、いじめの手法として実際によくあることだ。 一度そういう体験をしてしまったら、「野比のび太」くんは「ノビー」と呼ばれることに嫌悪感を感じてしまうようになり、その呼ばれ方

    アスペだけど、「差別語っていくらでも作れるんだよ」と言う人に反論してみた - yuhka-unoの日記
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    gureneko 2013/03/05
    同感する点、上手に代弁して貰えたと思えた点、多し。より多くの人に読んで貰いたいな。
  • 2月24日学園関西校落慶式典の感想など - 幸福の観測所

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    gureneko 2013/02/27
    宗教行事は行わないという近隣住民との約束を、完成直後に破った幸福の科学学園関西校。
  • 地震と天罰と寒冷化とフォトンベルト - 幸福の観測所

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    gureneko 2013/02/26
    リバティ記事が二年前の大川隆法の主張に反している件について。教団内部の対立か、はたまた教団ぐるみの転向か。
  • 信者がどうして具体的な反論ができないか、考察してみた - 幸福の観測所

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    gureneko 2013/02/22
    「とすると、一連の霊言や「世界最高のサイキック(神通力保持者)」という表現は、幸福の科学に集う「超能力」の存在を信じる中二病患者たちに対する、大川隆法からの痛烈な皮肉、という風な解釈もできそうです。」
  • 漢の漢たちを語る13「人は過ちを繰り返す」:申屠嘉 - てぃーえすのメモ帳

    漢の高祖の功臣最後の生き残り、と言えそうなのは誰か。 解釈次第で色々な人物を挙げる事が出来そうだが、その一人として挙がりそうなのが申屠嘉であろう。 張蒼免相、孝文帝欲用皇后弟竇廣國為丞相、曰「恐天下以吾私廣國。」廣國賢有行、故欲相之、念久之不可、而高帝時大臣又皆多死、餘見無可者、乃以御史大夫嘉為丞相、因故邑封為故安侯。 (『史記』巻九十六、張丞相列伝) 彼は高祖の時に兵士から成り上がって出世し、文帝の時には御史大夫にまでなっていた。 そこで、次の丞相を決める際に文帝はひそかに自分の皇后の弟を丞相にしたがっていたが、天下を私物化したと言われるのがいやで、消去法で高祖の功臣の生き残りであった申屠嘉が丞相に選ばれたのである。 「仕方なく」丞相にしたんじゃないか、とか言ってはいけない。 嘉為人廉直、門不受私謁。是時太中大夫訒通方隆愛幸、賞賜累巨萬。文帝嘗燕飲通家、其寵如是。是時丞相入朝、而通居上傍

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    gureneko 2013/02/20
    申屠嘉は同じ失敗を繰り返して死んだ。
  • 漢の漢たちを語る12「戦場を駆ける」:潅嬰 - てぃーえすのメモ帳

    かの項羽が最後に呉への逃亡を拒否して漢の追っ手に追いつかれ自殺したことは有名だが、その漢の追っ手の指揮官が誰であったかは割と知られていないのではなかろうか。 項王乃曰「吾聞漢購我頭千金・邑萬戸、吾為若徳。」乃自刎而死。王翳取其頭、餘騎相蹂踐爭項王、相殺者數十人。最其後、郎中騎楊喜・騎司馬呂馬童・郎中呂勝・楊武各得其一體。五人共會其體、皆是。 (『史記』巻七、項羽紀) 項籍敗垓下去也、(灌)嬰以御史大夫受詔將車騎別追項籍至東城、破之。所將卒五人共斬項籍、皆賜爵列侯。 (『史記』巻九十五、樊酈滕灌列伝) その指揮官は潅嬰。 漢の高祖劉邦にとっては同郷ではなく、項梁死後の加入のため早い段階からいるとはいえ最古参というほどではない。 しかも一味の中では比較的若かったらしい。 ではなぜ彼がこのような大事な任務を任されていたのか。 楚騎來衆、漢王乃擇軍中可為騎將者、皆推故秦騎士重泉人李必・駱甲習騎兵

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    gureneko 2013/02/17
    潅嬰
  • 新釈鴻門の会 - てぃーえすのメモ帳

    http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130214/1360771196の続き。 「傾奇者」で「いくさにん」な劉邦で「鴻門の会」を再解釈してみよう。 項王即日因留沛公與飲。項王・項伯東嚮坐。亞父南嚮坐。亞父者、范筯也。沛公北嚮坐、張良西嚮侍。范筯數目項王、舉所佩玉玦以示之者三、項王默然不應。 (『史記』巻七、項羽紀) 出発前に「先に関中を落とした者が王となる」と約束があったのに理不尽にも項羽が自分を攻め滅ぼそうとしていると知った劉邦。 彼は項羽のいる鴻門へ駆けつけ、整然と自分に敵意がないことを説明した。 ひとまず納得した項羽は、劉邦と酒宴を開く。いわゆる「鴻門の会」だ。 そこで項羽の謀主范増は、項羽に対して「玉玦」を見せる。 「決」つまり「ユー劉邦殺しを決断しチャイナ」という意味である。 だが項羽は動かない。 当然だ。戦場で敵う者のない「いくさにん」項羽だからこそ分かっ

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    gureneko 2013/02/15
    続編希望!
  • 魯から大河そして東平 - てぃーえすのメモ帳

    夏侯勝字長公。初、魯共王分魯西寧郷以封子節侯、別屬大河、大河後更名東平、故勝為東平人。 (『漢書』巻七十五、夏侯勝伝) 夏侯勝の故郷である魯の西寧郷は、魯王が子供の領地として分地した土地だという*1。 そこで、魯国から大河郡へと管轄する郡(国)が変わり、夏侯氏の出身郡は魯国から大河郡へと変更になったのだそうだ。 その後更にその地が東平王の領地となったため、最終的には東平国の人ということになった。 前漢の人間は王国が郡ということになると仕官に制限がかかったので、管轄が国か郡かは割と大きな違いである。 これはいわゆる「推恩の令」によるものではないかと思うが、やはり一旦分家して子弟を列侯にすると、その土地はもはや完全に王国から離れて郡の支配下に入ったようだ。 *1:いつの誰の事を言っているのかはっきりわからない。『漢書』王子侯表上に見える寧陽節侯恬のことだろうか。

    魯から大河そして東平 - てぃーえすのメモ帳
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    gureneko 2013/02/12
    漢代における、分割された王領の行く末の一例。