戦後の国土の変遷を空撮写真でたどれるサービスを国土地理院が始めた。インターネットで手軽に閲覧できるよう、所蔵する写真のゆがみなどを補正してつなぎ合わせ、いまの地図に重ねて表示できるようにした。今のところ大都市部に限られるが、復興や高度成長期の開発による変化を見比べることができる。 国土地理院は、戦前のものを含め130万枚以上の空撮写真を保有し、ネット上で公開している。ただ、それぞれ縮尺が違ううえ、一枚ずつしか見られないため、目的の土地のものを探すのが難しかった。 新サービスでは、画面上で写真の継ぎ目を気にせず上下左右にスクロールし、拡大や縮小も自在。公開済みの新しい年代の写真に加え、1945年から64年までの分ができあがり、3月末から提供を始めた。 国土地理院のサイト「地理院地… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会
4月4日、米アップルが少なくとも年末まで、スイスで腕時計型ウエアラブル端末「アップルウオッチ」を販売できない見通しだ。サンフランシスコで3月撮影(2015年 ロイター/Robert Galbraith ) [チューリッヒ 4日 ロイター] - 米アップルが少なくとも年末まで、スイスで腕時計型ウエアラブル端末「アップルウオッチ」を販売できない見通しだ。知的財産権の問題が影響しているという。スイスの放送局RTSがウェブサイト上で伝えた。
赤瀬川原平『四角形の歴史』(毎日新聞社)を読む。毎日新聞の書評欄のコラム「この3冊」で、美術評論家の山下裕二がこの本を「あまり知られていないけれど、極めつきの名著だ」と絶賛していた(2月1日)。 自筆のイラストとごく短い文章による絵本という体裁だが、本書で示された思索は、驚くほど深い。「目玉は頭の入口だから、物も風景も何でも通過する。でも見るというのは、目玉を通ったものを頭がつかむことだ。つまり見るのは、ちゃんと意識する力があってのことだ」−−そう、赤瀬川さんは「見る」という行為を思想にまで高めた人なのだ。 赤瀬川は四角形はいつ生まれたのか考える。犬は風景を見ていない。自分の興味のあるもの、食べ物とかご主人とかだけを見ている。その点は人間も似ている。今の人間は風景を見ているが、昔は見ていなかった。人間も物しか見なかった。それは人間の絵の歴史をみるとよくわかるという。 昔は風景画を描かないで
大滝詠一にノスタルジーを感じた2時間 NHKで「大滝詠一ソングブック」という番組をやっていたのを、録画で観ました。 とっても面白かった。 音楽評論家の萩原健太が大滝詠一の音楽の変遷と歴史を、スタジオで実際に聞きながら進めていく、ゆるい番組。 いとうせいこう(作家・クリエイター) 清水ミチコ(タレント) 太田裕美(歌手) がゲストで出ていた。 大滝詠一といえば、1981年3月に発表された「A LONG VACATION」がとっても有名です。 「君は天然色」 「Velvet Motel」 「恋するカレン」 「カナリア諸島」 大学生だったボクはこのレコードをホント擦り切れるほど聞いた。 はっぴいえんど時代から伝説の人でしたが、このアルバムが大滝詠一の名前を決定的にしました。 他にもソングライターとしても才能があった人です。 たくさんの名曲をさまざまなアーティストに作っています。 76年3月の吉田
息子の担任は板書をしない。 どうしても何か手書きする必要がある場合は、ペンタブのようなものを使う。書いたものは電子教材が映るスクリーンに表示される。 ICT一本槍の教員かというとそうでもない。 「できるだけメモはPCでとってください」とは言うものの、紙と鉛筆を使うことも認めている。 もっとも、ほとんどの児童は授業でノートパソコンを使っている。 支給品でも5万円で買わされた端末でもない。児童というか親兄弟の私物だ。 「古いPCでもお下がりでも良いです」、「キーボードと液晶とマウス(トラックパッド)がついているものにしてください」、「購入する場合は『新品で一番安いノーパソ』を買ってください」と、学期始めの保護者会でアナウンスがあった。 父兄(フェミニストすまん)からのクレームはなかった。 どの家にも旧式のノートPCくらいはあるのだろう。 それに新品を買っても3万円程度で済む。 塾代よりは安いし
90年に歌手デビューし、アイドルとして人気を得た宍戸留美さん(41)。テクノ調の曲と個性的な衣装のコミック路線が従来のアイドルと一線を画し、熱烈アピールした。今どうしているのか。 ■アイドル時代の月給は7万円だった 会ったのはJR信濃町駅に近いカフェ。いや、41歳とは思えないかわいらしさだ。 「ありがとうございます。それって、苦労してないように見えるんでしょうか? ワタシ、好きなことしかやってこなかったし、フフフ」 宍戸さん、サラリとこういった。92年に事務所を辞めてから、ずっとフリーで活動してきたそうだ。しかし、92年当時まだ18歳ぐらい。ただ「好きなことしかやってこなかった」わけじゃないだろう。 「15歳で広島から出てきてデビューした後は、マネジャーがいつもそばにいて何でもやってくれたので、事務所を辞めた時は買い物もひとりではできないくらい、“フツーの感覚”がなくなってました
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