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ブックマーク / novtan.hatenablog.com (48)

  • 議論におけるゴールの設定の話 - novtanの日常

    繰り返しになるけど。 現状の社会の見解として白黒はっきりつけたい場合のゴールってどうしても「適法かどうか」になってしまうんですよね。でも、世の中に対する議論は世の中をどう変えていくか、という話でもやるべきであって、日赤ポスターの件とかはまさにその類の「色んな人が違う基準を持っている」話なわけです。 だから、「自明である」という言明はあまり意味なくて、法律とか条例に照らして「違法ではない」以上の議論は深まりません(ex.エロだからダメに決まってるだろ!→ダメというレベルじゃないので大丈夫です)。 もちろん、「こんなのは規制すべきだ」という意見を表明することは全然OKだと思いますが、現状の「規制の対象ではない」ことを変えるためには明確なロジックや基準の提示をした上で、社会の考え方としてそれにどう合わせるべきか(あるいは合わせるべきでないか)を丁寧に議論することが必要なんではないかと思います。こ

    議論におけるゴールの設定の話 - novtanの日常
  • 規範的意識を元にして世の中の有り様を決めようとするのは完全に後退していないかな? - novtanの日常

    抽象的な話をするけど、元々、ムラ社会であるとか、ホニャララ制であるとか、ワークライフバランスであるとかまあそういう話で世の中の閉鎖的で閉塞的な物事を現代基準で変えていこうぜ、というリベラル的(的だよね?)な社会の方向性について、別の規範による制御を迫るというのは逆行しているので、そういったことを目論んでいる人はリベラルではない、というのが僕の雑な認識。まあちょっと雑だよねとは思っているけど。 結構この話が難しくなるのはそういうところで、例えば性的なトピックについて開放に伴って攻撃に転化するところもままあると思う(特に一時期の秋葉原は18禁の諸々に寛容な人間ですらちょっと歩き辛いなとは思ったわけで)。だから、5W1Hというわけではないけれど、何をどこまでという線を引くのは大事ってのはあるんだよね。ただ、その線の引き方ってのが誰かの規範的意識に基づくというのはよろしくない。誰かが傷ついたからと

    規範的意識を元にして世の中の有り様を決めようとするのは完全に後退していないかな? - novtanの日常
    gutihaki
    gutihaki 2019/11/09
    「単発の事例で結論を出そうとしている人はみんな乱暴だと思うんだよ。」
  • 7Pay問題から考えるビジネスとITの課題について - novtanの日常

    今回の問題はもう馬鹿かというほど素人のご意見がばら撒かれているくらいは世の中が騒然としていますがね、とりあえず最初に言っておきたいのが、この問題がいかにダメかと言っている技術者に対して「経営課題ガー」とか言っているのはもうアホ極まりない話で、そもそもITをどう使うかということそのものが経営課題である昨今においてこのレベルの問題を起こした企業の「経営課題」なるものを多少なりとも免罪的に持ち出すのはホント糞だと思う。 で、楠さんまで「ベンダー任せが一因」みたいなことを言っていて、まあ確かにそういう面もあるんだろうけど、正直なところ、今回の件はダメをダメと言えないガバナンスの問題なんだと思う。とはいえ、ここの真実は当事者にしかわからんのでこれ以上突っ込むのはやめておこう。 で、問題はomni7の方、と言い出す人も出てきているのでなんともかんともなんだけどさ、先ずもって今回の最大の問題は「ID/P

    7Pay問題から考えるビジネスとITの課題について - novtanの日常
  • 「一貫性絶対確保文化圏」と「後で訂正文化圏」の衝突について - novtanの日常

    なんかタイトルだけ見たら思想の話みたいに見えますが、ITです。 というか、愚痴です。 銀行の特に勘定取引寄りの仕事をしていると、データの一貫性すなわちお金の出し入れの整合性について相当センシティブになるわけです。およそ、決済系のシステムの中で一番ヤバイ系は銀行口座の元帳の読み書きの部分なわけですね。なぜなら、一度移動した金について「訂正する」のは結構な困難を伴うからですね。システム上とはいえ、お金の所有者が移動してしまうわけなので。 ましてや、お金が行方不明になったり謎の増え方をしてしまってはまずいわけですね。 一方で、銀行以外の決済は意外とおおらかな部分があります。なぜなら現金が直接的に減らないことが多いから。クレジットカードなんかが典型で、問題が発生しても月締めまでになんとかすればいいし、なんだったら翌月に回しても良い(収益の観点からは全くよくないけど顧客に負担を強いるよりはマシ)。チ

    「一貫性絶対確保文化圏」と「後で訂正文化圏」の衝突について - novtanの日常
  • 過酷すぎる自由な社会において - novtanの日常

    ※ほぼポエムです 子供が学校に行きたくなくなるのはまあまあよくある話だし、GW明けたら会社に行きたくなるのもまあまあよくある話ではあるよね。 よく「自由」の対極に位置するのは「抑圧」であるという前提で話をされることがある。自由という言葉が広くて曖昧だからということもあるんだけど、僕はちょっと違うと思っている。「抑圧」というものがそもそも人間に対してマイナスの要素か、というと実は全然そんなことはない。 そもそもディストピアSFにおいて、「俺は自由だ!」は死亡フラグである(と意味のわからない供述を繰り返しており… いやまあ、結局の所何でも良いんだけど、とにかく制約も抑圧もない「自由」というのは自分を強く律することができない人にとっては単なる堕落の入り口に過ぎないことのほうが多いわけですよ。当然だけど、子供が自分を強く律することはできない。義務教育やらなんやらには現代的ないくつもの問題があるとは

    過酷すぎる自由な社会において - novtanの日常
  • ウェブの進化で世界は逆転…してない - novtanの日常

    p-shirokuma.hatenadiary.com うーんと、まあ、今起きているのは可視化のプロセスってだけだとは思うんだよね。とっても悪い言い方をすると、愚民は啓蒙には従わず、利益を与えてくれる()主に搾取される、ということだけど、これは太古の昔から起こっていることでそれを少しでも減らすために遍く教育するということが行われて来てはいるわけだ。この話って結局は飯と尊厳どっちが大事かというところまで行き着くんだけど、現代社会における幸せってもうどうしようもなく飯の方向に振られているんだよね。飯って言い方を変えると家族な。それをモラルとしての人質に取られているので打倒ブラック企業というのはある程度モラルと尊厳を両立できる層でしか具体的な効果が出ない。教育の成果はテロはやめましょう、ストは社会効率を落とします、だったんだよね。つまり、飼いならされた。 今でこそ車は田舎では必需品だけど、かつて

    ウェブの進化で世界は逆転…してない - novtanの日常
  • 適切な努力とはなんぞや問題 - novtanの日常

    mubou.seesaa.net p-shirokuma.hatenadiary.com まあなんというか、僕自身はわりかし不適切な人間なので、不適切な行動をし、不適切な努力をし、不適切に仕事をしてここまで来たんですよね。人生無駄の塊。もっとも、無駄こそ楽しいんだけど。 といっても、僕はわりと勉強とかはする方で、しかも横道にそれることが多くて、苦手なことよりも好きなことが大事なので無駄な努力が多いタイプなんだろうな。量でごまかすぜイエーイでも眠いぜ寝ちゃえ的な。 ともあれ、人生も40年位やっていると、無駄な努力の結実がありまして、全ての無駄がだいたい血肉になっているという感覚はあるわけです。これはどういうことなの? つまり、無駄、あるいは不適切な努力、というのは極めて短期的な評価でのみ問題視すべきなんじゃないかな。明確な目標、というものに対して適切な努力、というのはあると思うんだけど、自分

    適切な努力とはなんぞや問題 - novtanの日常
  • 所属の看板と個人の差異の問題について - novtanの日常

    この話は、「一人ひとりの考え方は違う」という点で総括してしまってはダメなんだと思っている。 続)あと「〇〇(女性、フェミニズム、人文科学や社会学、非居住者etc)に属してるなら暴れてる身内をどうにかしろよ、何なら代わりに詫びろよ」系の言説も当に嫌だ。「親の顔が見たい」から連綿と続くアレだよ。無関係だろ。個人だろ。自由な意見を個別に聞くということに社会が慣れてなさすぎる。— 岡田育 / Iku Okada (@okadaic) October 10, 2018 こういうことを言いたくなる気持ちはとてもわかる。ただ、それは「便利な看板」としてそのカテゴリーに所属していることを選んでしまった自分自身の問題である、と捉えたほうが良いのではないかと思ったりもする。フェミニストについてのここ最近の問題に対して感じるのは、そういうところだ。あれ、そんなに違うことを強調するのであれば、そもそもその看板自

    所属の看板と個人の差異の問題について - novtanの日常
  • 「公の感覚」は必要だと思うけどさ - novtanの日常

    この話だけど。 「公の感覚」をめぐる議論(「キズナアイ」騒動などからの派生) - Togetter 以降、「的なもの」というのは理解が曖昧なことについて使っているので間違ってたらごめん。 まあ、「公」ってのは極言すれば「法律」なんだと思うんだよね。もちろん、その上に憲法があって、それが担保する世界もあるんだけど、それを絶対正義にしてしまうと公の空間というものは実質的に成立しなくなる(ようは、単なる自由にアクセス可能な私的空間のつながりにしかならない)ので、原則レベルではそうだと思う。なので、といいつつ、もう少し上位(だったらいいなあ)の概念としてのモラルみたいなものも当然あるよね。ただそれは誰かのお気持ちにより担保されるものではなく、ハーバーマス的な正当性の議論なくして成立し得ないのかなあとは思う。 問題は、実際の「公共圏」的なものは実はローカルではひとしきりの根拠を持っていて、それがウェ

    「公の感覚」は必要だと思うけどさ - novtanの日常
  • Webの一般化により世界の概念が変わったことに気づいてない「社会学者」が多いのではないか - novtanの日常

    togetter.com この辺の話に限らず、もともとある程度「閉じた」社会のお約束を、もう修復不可能なほど「開いた」社会になってしまったウェブの時代においてなんのreviseもせずに適用しようとする人たちは社会の変化に真摯に向き合っていないか、旧来の体系化されたものを失うことが嫌かのどちらかだとは思っています。 開いた世界において、多様性とは認めるものではなく、ただ純然とそこにあるものになってしまっている。別に閉じた世界にある種の価値観に基づいた規範があることは共同体の有り様としては問題ない(厳密に言えばある、のだけど、そこからの脱却を逃げ出すことで達成できるという余地があることが多い)のですが、ウェブによって開いた世界においては逃げ場はないので、従来の特定の価値観による規範というのが人権の問題にまで広がってしまう(政権にいる人がコメントを出すようなレベルのことが誰にでもできてしまうわけ

    Webの一般化により世界の概念が変わったことに気づいてない「社会学者」が多いのではないか - novtanの日常
  • 「キモい」を発話することについて - novtanの日常

    店で飯ってて周りの人が美味しいなーって言ってべているのに自分の口にあわないからと言って「なんだこのまずい飯は」とか発話するってのはTPOがなってないよね、と思うわけでございますな。 おおよそ、そんだけの話だと思う。 キモいという評価が正当か不当かはおいておいても、それを直接的に投げかけるのは一方的な評価であり、かつ、根源的な問題であるという話にどうしてもなってしまうのでそれ以上まともな議論は期待できないんではないかな。そういう言葉を使うことで問題の質はどうでも良くなってしまうこともあると思う。 とはいえ、キモいということが個人の感想として大事であることもわかる。だから、そういうのを発話するときはいろんな留保をつけないと結局の所、「別の差別問題」を提起しちゃっているだけになるんだよな。

    「キモい」を発話することについて - novtanの日常
  • Hagex氏の訃報とネットへの向き合い方について - novtanの日常

    なんというか言葉が出ない。氏への言及は以下各位のエントリでおおよそ言い尽くされていると思うので、割愛する。何かが書ける気はしない。 やまもといちろう 公式ブログ - Hagexに王様はいなかった - Powered by LINE hagex氏のこと - Everything you've ever Dreamed 「ネットウォッチャー」Hagex氏の訃報に際して | @raf00 一つだけコメントしておくと、氏のスタンスは不正、理不尽による犠牲について、少なからずやられる方への迂闊さなどに対する厳しい目線がありつつも、騙したりすることへの明確な否定に立っているという点について大変共感していた。 さて、僕が考えるべきなのはid:zaikabouさんによるこのエントリについてだ。感情の整理がつかないのでこのエントリの大部分は単なるポエムである。例によって事実関係については主観以外のエビデンス

    Hagex氏の訃報とネットへの向き合い方について - novtanの日常
  • 「Googleが正しい時代」なんてあったんだろうか - novtanの日常

    mubou.seesaa.net ごもっともなお話ではあるんだけど、じゃあ昔の情報は品質の高いものがトップに来てたのかというと、金稼ぎの単なるゴミがあんまりなかっただけで、「ネットde真実」に溢れてたんじゃなかったでしたっけねえ、と思ったりします。んで、今問題になっているような医療情報とかそういうのってそもそもなかったかクローズドが多かったし。 ググレカスってのはググったらすぐ分かる程度の情報すら検索しようとしないアホンダラに向ける言葉だし、今だってその程度の調べ物であればググったらwikipediaがトップ(というか右側ね)に出ることが大半だし、そうじゃない検索は確かに昔よりゴミの山だけど、昔から検索にはコツがあって、それを外したら結局のところゴミにたどり着くことが多くて、逆にそのころ正解に近いものにたどり着くようなキーワードなら今も正解に近づくことが多いと思ってるんですよね。 とはいえ

    「Googleが正しい時代」なんてあったんだろうか - novtanの日常
  • 誰かを傷つけずに生きている人なんていないよね - novtanの日常

    セクハラと差別とヘイトスピーチが全部ごっちゃになって語られているような気がする例の問題ですが。 セクハラ一つとっても、人が嫌がるエロネタを話すことと、俺と寝ないと仕事をやらない系のこととは大きく程度が違うわけで、それを表す言葉が「セクハラ」に終始してしまっていることも一つの問題なんだろうけど。 セクハラはだめだよね、の世界にもいろんなものがあるし、差別だって質的な問題は「不利益」にあるわけだし、極端な話お前が生きているだけで俺が傷つくんだ系の気持ちをフォローすることなんて出来るわけないんだし、人間ってのはそういう生き物でしかないんだと思うんだよね。 で、ヘイトスピーチとか、テレビ番組での障害者ネタとか、はあちゅうの童貞揶揄とかが問題になるのは基的に無差別攻撃だからだと思っている。人間と人間は互いをある程度は傷つけながらコミュニケーションを取って生きていくものだと思ったのはもうだいぶ前

    誰かを傷つけずに生きている人なんていないよね - novtanの日常
  • ボクたちにはクソな大人たちが必要だ - novtanの日常

    どっちかというとクソな大人側なnovtanですおはようございます。 まああのジャンプのあれなんですけどね、ソフトなエロがどの程度許容されうるべきかとかそういう話はあるにしても、あそこでクソな大人が「教育に悪い」ということは必要なんですよ。教育のために。大人が何を隠そうとしているか、察しながら子どもたちは成長していくんだよね。 だから、今回クソだったのは、ほとんど害のなさそうなソフトエロに対比してHUNTERXHUNTERとかいう有害漫画()を素晴らしいなんて褒めちゃっているところだよね。あの漫画こそ教育に悪く、子どもたちの目から隠すべきで、子どもたちに親の目を盗んで読んでほしい漫画なんだけどな。 そんなふうに言うから、教育に悪いなんてのは全く説得力がなく、「私が」エロが嫌いであるだけだ、ということも子どもたちに看破されてしまっているから社会勉強にもならず、単なる抑圧を仕掛けるアホな大人がネ

    ボクたちにはクソな大人たちが必要だ - novtanの日常
  • はいといいえで答えられる質問に答えないこと - novtanの日常

    論争において論者の適格性とか、理解の確認とか、まずはいといいえで答えるべき質問を投げなければならない状況下において、問いかけられる方のプレッシャーというか、追い詰められ感はものすごいものだろうと思う。回答すなわち敗北である。はいで答えてもいいえで答えても負ける。自分の過ちを認めるか、自分の馬鹿さ加減を認めるかのどちらかでしかないからだ。幸いにして僕ははいかいいえのどちらかを要求される局面にそうは相対することはない。 といっても、実のところ自分の過ちを認めることは別にそんなに大したことではない。完璧な人間でいることは不可能だし、世界の真実は毎日変化している。であるならば、今日正しいと思っていたことが明日間違っていたとしても不思議ではない。思い込みで議論すること自体も別に悪いことだとは思わない。ただ、議論するのであれば自分の意見より客観的に正しいと思う意見には服すべきだし、論者の適格性とはその

    はいといいえで答えられる質問に答えないこと - novtanの日常
  • ファンを馬鹿にするという批評について - novtanの日常

    これな。 観客やファンを馬鹿にするのはタブーなのか? - Hagex-day info この話って実際には「クズをありがたがるわかってないやつ」にどういう名前をつけるか問題だったりするんだけど、まずもって罵倒語の難しいところは部分と全体の区別がつかないことだと思ったりするんだよね。つまり、「XXがクズだということのわからないYYオンチ」みたいな表現がおしなべて「バカ」になってしまうという問題。ファンの人格全てを否定するように取られてしまいがちなんだけど実際の範囲は批判対象を好きだという一点に限られるわけね。 というのと、「クズなXXが好きなやつなんてどうせキモオタ童貞ニート」みたいな言い方はまあ時代としては全然ダメだよねって話ではある。 どちらかというと後者に近いニュアンスの言説はウェブに出ていくと主語が勝手にでかくなることも相まって余計にダメな感じになるわけですね。 あ、そういえば、いわ

    ファンを馬鹿にするという批評について - novtanの日常
  • ニーズは死んでよいのか - novtanの日常

    新年早々なかなかおもしろい記事を読んだ 「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて|WIRED.jp 結びの言葉は辛辣。 「ニーズ」という言葉が嫌いなのは、結局のところ、そこになんの「信頼」も「期待」も賭けられていないからなのだろう。 ITのビジネスもいわゆる人間系事務作業の置き換えという仕事はメンテナンスサイクルに入っていて、やれマーケティングだニーズの掘り起こしだとそういう方向にシフトしている。と言っても、そこで見つかる「事実」に競争力があるかというと、判で押したような商品が並んだ挙句、そこにコミットしなかった人の提案が唯一無二のものとして珍重される、すなわち、情強が敗北する世界、が近づいているのかもしれない。もっとも、結局のところそれもニーズなんであろう。 イノベーションがニーズから生まれ得ないかというとそんなことはなく、人間の試行錯誤の動機とは何

    ニーズは死んでよいのか - novtanの日常
  • Googleが真実判定機関になってはならない - novtanの日常

    まあこれはちゃんと言っておいたほうが良いかな、と思ったので新年早々のエントリとしてはどうかなと思いつつ書きます。 せめてはっきり言おうではないか. Googleは無能であると - yuko-hirom’s blog ここに書かれている指摘自体は「まあ知ってた」ではあるものの、冒頭書かれているようなGoogleを叩かなければならない理由はないと思っています。 まずもってグーグル先生がこの手の問題について「プログラム(アルゴリズム)のせいだから仕方がない」と言っているのは聞いたことがないので、つまりこれは周りが勝手にグーグル先生は悪くないと言っているだけではあるんだけど、そもそも「良いとか悪いとか」の範疇にこの問題自体が載ってくることがどうにも違和感しかないわけです。 GoogleEvilを目指してないけれども結果としてEvilである、と思う人もたくさんいると思っていて、僕もその一人ではある

    Googleが真実判定機関になってはならない - novtanの日常
  • ほにゃららを批判するものは云々 - novtanの日常

    この手の言い回しはよく当に言いたいこととは全く違う論点で戦うことになる。なぜならすぐ有限リソース問題に行き着くし、それが自分に返ってくるから。 Aを批判するのにBを批判しないなんておかしい、とか別に言いたいわけじゃなく、Aをする人を攻撃するネタとしてBをしない事を理由にしているに過ぎないし、じゃあお前はAを批判してんのかよって問われたらそもそもAを批判する事自体が気にくわない、またはそいつの別のことを批判したいがためにBを引き合いに出してAをすることを批判したいだけなのだから、当人にはAを批判することが必要だとは思ってないし、もっというとAを批判することが間違いだとすら思っている可能性があるのでほとんどの場合極力言及しない態度になる。 こうなるともう話は成立しないし、そもそも何を批判したいかわからないまま延々有限リソース問題を有限のリソースを費やして話す羽目になる。 前提と対象を合意しな

    ほにゃららを批判するものは云々 - novtanの日常
    gutihaki
    gutihaki 2016/11/26
    「前提と対象を合意しないまま行う議論は大抵クソだ。」