森直人のエントリに補足。 ただ単にイリイチ流脱学校論のアカデミック教育学における受容のさきがけというにとどまらず、日本社会科学におけるポストモダニズム受容の、最初期における水準を示すと思われる、故森重雄の「批判的教育社会学」の問題意識は大略以下のようなものである; 「教育」というカテゴリーは決して自明の、あるい歴史貫通的に人類普遍の何ものかではない。伝統的な(規範的)教育学はしばしばそのことに盲目であった。そもそも「教育学」は「教育」という対象を分析する科学ではなく、「教育」という営みの内在的構成要素である。 これに対して「教育社会学」は「教育」を外的な対象とし、その客観的な分析を標榜する。しかし素朴なタイプの「教育社会学」=「社会学的教育分析」は「教育」という対象の実在性も、「社会学」という方法の堅固さも疑わず、「社会学」によって「教育」を分析しようとする。 しかし第一に、そもそも「教育