全電源喪失。“電力マン”の誇りと自負…葛藤の末に行き着いた「人が造るものに絶対はない」。福島第1原発の元運転管理者は、日々つづった日記をめくり始めた。 2月下旬、東日本大震災を知る住民に話を聞こうと福島県いわき市を歩いていると、福島第1原発の事故直後から現地で対応に当たった東京電力元社員の穗崎一豊さん(66)=同市=と出会った。「原発がある鹿児島から取材に来た。教訓を聞かせてほしい」。記者の頼みに、ためらいながら重い口を開いてくれた。 福島第1原発3、4号機の運転管理者も務め、“電力マン”としての誇りを持っていた穗崎さん。事故後の業務内容は、電気を生み出す仕事から、廃炉作業に当たる職員の労働環境の整備へと一変した。 自宅まで取材に来た記者もいたが、全て断ってきた。今回初めて応じたのは、心のどこかで「想定を超える災害への覚悟がなければ悲劇は繰り返される。記憶が薄れぬうちに後世に伝えるべき」と