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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (3)

  • 岡倉覚三 村岡博訳 茶の本 茶の本

    茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々(じゅんじゅん)と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。 茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人(てんじん)に関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精

    gwmp0000
    gwmp0000 2023/12/08
    先日増田で話題になった
  • 中里介山 大菩薩峠 禹門三級の巻

    宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。その夢は、いつもはんで捺(お)したように不動明王の夢であります。夢や新聞は、毎日変ったものを見せられるところにねうちがあるのだが、米友のように、毎夜毎夜同じ夢ばかりを見せられては、驚かなければなりません。 夢から醒(さ)めたたびに米友の驚き呆(あき)れた面(かお)も、やはりはんで捺したようなものです。米友はついに堪り兼ねて、床の間にかけてあった不動明王の画像を取外しました。この画像があるから、夢を見せられるのである、画像が無ければ、夢も無くなるであろうと思って、その晩は取外して床の間へ捲いておいたけれど、やはり同じように、不動明王の像が夢に現われました。米友は癪(しゃく)にさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によっ

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    gwmp0000 2022/01/26
    大禹治水
  • 須川邦彦 無人島に生きる十六人 - 青空文庫

    これは、今から四十六年前、私が、東京高等商船学校の実習学生として、練習帆船琴(こと)ノ緒(お)丸(まる)に乗り組んでいたとき、私たちの教官であった、中川倉吉(なかがわくらきち)先生からきいた、先生の体験談で、私が、腹のそこからかんげきした、一生わすれられない話である。 四十六年前といえば、明治三十六年、五月だった。私たちの琴ノ緒丸は、千葉県の館山湾(たてやまわん)に碇泊(ていはく)していた。 この船は、大きさ八百トンのシップ型で、甲板から、空高くつき立った、三の太い帆柱には、五ずつの長い帆桁(ほげた)が、とりつけてあった。 見あげる頭の上には、五の帆桁が、一に見えるほど、きちんとならんでいて、その先は、舷(げん)のそとに出ている。 船の後部に立っている、三木めの帆柱のねもとの、上甲板に、折椅子(おりいす)に腰かけた中川教官が、その前に、白い作業服をきて、甲板にあぐらを組んで、いっし

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