吹田(すいた)は、「次田」(すきだ)からできた地名ともいわれ、簡単な字だが、逆の意味のように感じられる「ふいた」と訓読みしてしまって読み間違えるよそ者が出るのも仕方ない。そこでは「勝尾(かつおう)寺(じ)」という看板を見た。元禄時代の俗字を考察した書籍に、漢字表記と読みのずれを説明していたものだ。この辺りで、本場の「タコ焼き」を頂いたところ、蛸が大きい。 鴫野では「継ぎ禁止」とバイクや自転車についての掲示にあった。「北どなり」「置かぬよう」といった掲示の文句もどこか東京とは違う。大阪は、中国や韓国、それも香港やソウルのような熱気と活気を感じさせる。それでいて、山も見え、歴史の厚みもほの見える。 「串カツ」の看板があちこちで目に入る。通天閣、新世界ではそれが居並んでいた。北新地、曾根崎、どれも施設名や地名が相応の時代性を背負い歴史を帯びているせいか力をもっている。玉造のあるのは天王寺区、ネー
ノースリーブや半袖の女性たちが、ヒートテックを熱心に眺めていた=シンガポール市のユニクロ・アイオンオーチャード店 【シンガポール=高重治香】「ユニクロ」のあったか肌着「ヒートテック」が、常夏の東南アジアでも人気だ。冷房の利いたオフィスで働く人々や海外旅行者のニーズをつかまえた。 シンガポールを代表する繁華街オーチャード・ロード。「ユニクロ・アイオンオーチャード店」では、ノースリーブや半袖の女性が「冬物」を品定めしていた。シンガポールの年間平均気温は25〜30度。ヒートテックやフリースで買い物カゴをいっぱいにした研究職の女性(40)は「中国に旅行する時に着るの」と話す。 ユニクロがシンガポールに初めて店を出したのは2009年。ユニクロを運営するファーストリテイリングによると、試みに店頭に置いたところ、避暑地へ向かう旅行者や、冷房の利いたオフィスで日中を過ごす女性の愛用者が増えた。その後
日産自動車の労働組合リーダーとして大きな影響力を持ち、小説のモデルにもなった塩路一郎(しおじ・いちろう)さんが1日、食道がんで死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行った。 東京都出身。明治大学を卒業後、1953年に日産自動車に入った。58年に日産労組書記長、62年に日産グループの労組でつくる自動車労連の会長に就任。72年に自動車総連を結成し、86年まで会長を務めた。 日産で労使一体化路線を進めた。役員人事にも影響力があるとされ、高杉良の小説「労働貴族」のモデルになった。国際労働機関(ILO)理事にも当選し、国際的な活動もした。 世代交代を求める声が高まり、86年に労働界から引退。その後はコンサルタント会社の経営などに携わった。
あなたの娘がニューヨークに住んでいるとしよう。彼の地でよき米国人の伴侶に恵まれ、めでたく結婚の運びとなった。○月○日は結婚式。米国のウエディングパーティーだから、やはりきれいな色の和服だろうと、奥さんは新しい訪問着を新調。相手のご両親へのプレゼントも揃えた。 一生に一度のことだから、1週間の休暇を取る。30年もサラリーマンをしていて、こんなにまとめて有休を取るのは初めてだ。それにしても、あの幼かった娘がお嫁に行くのかと思うと、図らずも胸にこみ上げるものがある。 そして、出発前のせわしない日々も過ぎ、ようやく当日、感謝と晴れがましさの入り混じった心持で空港へ行ったら、予告なしのストライキ。まさか・・・! まさにこういう事態が、ドイツでは去年から今年にかけて何度も起こった。
【動画】サンスイの音色再び アクアオーディオラボ=安冨良弘撮影山水電気では設計も手がけた大塚哲男さん=埼玉県入間市下藤沢横手正久さんは「アンプに人生をかけた男」と紹介されたことも=埼玉県入間市下藤沢 【羽賀和紀】音質の良さからオーディオファンの間で高い評価を得ている高級アンプ「サンスイ」。製造元の山水電気は昨年4月に経営破綻(はたん)したが、OB3人がいまも細々と修理工場の営業を続けている。全国各地から「名器」の修理依頼が届く工場を訪ねた。 埼玉県入間市。住宅街の一角に建つプレハブ小屋には、はんだごての焦げた臭いが漂っていた。床には修理を待つアンプが10台ほど並んでいる。「どんな故障でも何とか直してみせるよ」。奥の作業台に座る横手正久さん(75)が笑いながら話す。 山水電気は1944年に東京・代々木で創業。54年からオーディオアンプの生産を始め、70年代のオーディオブームを先導した。
【上田真由美、渡辺周】ハローワークなどで集めた見習いに、「修行の一環」として1人で死者を弔わせていた八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)(名古屋市昭和区)が、やめさせた僧侶3人から「不当解雇だ」と訴えられていたことがわかった。寺の関係者は「相次ぐ解雇で人手不足となり、見習いに通夜を任せるようになった」と話している。 3人は2007〜12年、興正寺に対して、僧侶として勤める地位や雇用関係を確認し、復職させることを求めて、それぞれ名古屋地裁に提訴した。いずれも僧侶の主張が認められた。 判決などによると、19歳で入山した愛知県南知多町の僧侶=故人=は、高野山・専修学院で学んで僧侶の資格をとってから40年間、興正寺に勤めた。だが、07年8月、寺から「運営に多大な損害と混乱を引き起こす可能性が高い」と言われ、やめさせられた。同県稲沢市の僧侶(57)も、25年余り勤めたが、ほぼ同じ時期に同様の理
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