ブックマーク / number.bunshun.jp (72)

  • ロジャー・フェデラー、復活を語る。「自分がこんなにテニスが好きだとは」(ヘレン・スコットスミス)

    全豪オープンで見事な復活優勝を果たしたロジャー・フェデラー。 NumberWebではその偉業を称え、Number919号の掲載記事を特別にWeb公開することにいたしました! 年間ランキングトップ10からフェデラーの名が消えるのは、上り調子の20歳だった'01年シーズン以来の事件でした。しかし、昨季の半分をリハビリに費やしてしまった彼に、焦りや諦めの様子はまったく感じられません。 今季の開幕から復帰したレジェンドは、どんな言葉で尽きない野望を語ったのでしょうか。 彼の姿は、来なら10月のバーゼルにあるはずだった――。 もっと遡るなら、8月のニューヨークの全米オープン会場にも、彼はいる予定だった。もちろん最も望まれたのは、ラケットを手に、コートを縦横に駆ける姿である。しかし2016年2月に左膝の手術を受けた彼は、7月上旬のウィンブルドンを最後にシーズン残り全ての大会出場を取りやめ、来季に向け

    ロジャー・フェデラー、復活を語る。「自分がこんなにテニスが好きだとは」(ヘレン・スコットスミス)
  • 最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))

    久しぶりに彼と会ったのは夏の盛りだった。兵庫・芦屋の焼き鳥屋で知人と飲んでいると、不意に姿を見せた。あどけない表情は消え、あごひげを蓄え、ハンチング帽がすごく似合う。貫禄すら漂い、すっかり大人の男に変わっていた。 「あの後、どうしていたんだ? 」 柔らかい関西弁は相変わらずだった。懐かしさもあって、つい聞き込んでしまう。無理はない。彼と長々と話したのは、もう7年前なのだ。日付も克明に覚えている。'09年10月1日。広島カープを取材していた昼すぎ、携帯電話が鳴った。 「お世話になりました。俺、トライアウトを受けます。まだまだ頑張ります」 そうか、ダメだったのか……。辻賢人が阪神にドラフト8巡目で指名されたのは'04年秋だった。無名どころか、中学3年の学年にあたり、ドラフト史上最年少の15歳で指名されると世間は驚き、一躍、脚光を浴びた。在籍5年間の奮闘実らず、タイガースを戦力外になった。前向

    最年少15歳で阪神に指名と、その後。辻本賢人、再挑戦の日々に悔いなし。(酒井俊作(日刊スポーツ))
  • 本当は皆メジャーに行きたい……。日本野球界は菊池の涙に猛省せよ!(氏原英明)

    メジャー挑戦か、国内プロ入りか。 花巻東高・菊池雄星投手が、ついにその決断を下した。25日に同校内で記者会見を開き、「国内でのプレーを選択する」決意を表明した。日米20球団との面談を行うなど、自らの決断をドラフト4日前に発表した18歳の真摯な対応には、敬意を表したいものだ。 今の若い選手たちがいかにメジャーへの夢を抱いているか。 これを菊池は世間に知らしめてくれたと言っていい。昨年の田澤純一(新日石油→レッドソックス)に続いて、今年も同じような騒動が起きたという現実は、ドラフト上位候補の高校生が日のプロを経ずに、メジャーの舞台に挑戦する、という事態が今後も起きる可能性を示している。 「菊池騒動」は彼人の想いの深さだけによるものではないということを、日の野球界は直視しなければならない。 今後、このような事態が起きた場合に、日球界はどのように対応していくべきなのだろうか。 この騒動が

    本当は皆メジャーに行きたい……。日本野球界は菊池の涙に猛省せよ!(氏原英明)
  • 小倉監督休養は“手遅れ”なのか。楢崎正剛が吐露した名古屋の現状。(安藤隆人)

    小倉体制最後となった柏戦のベンチ。新監督に就任したジュロブスキー氏(右端)の目にはどのように映っているのだろうか。 8月23日、低迷を続ける名古屋グランパスは、小倉隆史監督の休養を発表した。同時に、兼務するGMの仕事もストップすることになり、クラブは今月コーチに復帰したボスコ・ジュロヴスキー氏(ストイコビッチ監督時代のヘッドコーチ)が監督代行を務めることも発表した。 事実上の解任――。 これは驚きではなく、必然の出来事だった。シーズン当初から、監督経験の無い小倉氏にGM兼監督という現場の全権を与えるリスクについて、周りからも不安視する声が上がっていた。それでもクラブは決断した。もちろん成功する可能性もあり、この決断を一概には批判は出来ない。だが、もしうまく行かなかったときのリスクマネジメントを予め講じてこなかったことが問題であった。 決断の時を何度も先延ばしにした結果、制御不能に。 「やる

    小倉監督休養は“手遅れ”なのか。楢崎正剛が吐露した名古屋の現状。(安藤隆人)
  • 何度も、何度も観客に感謝のお辞儀。ボルトが告げたトラックへの別れ。(及川彩子)

    手を広げながらフィニッシュラインを駆け抜けたボルトの顔は、悔しさと苦痛で歪んでいた。 19秒78。 自身の持つ世界記録19秒19に遠く及ばない、ボルトにとっては平凡な記録。速報タイムをみやったボルトは「なんだよ!」と言わんばかりに右腕を振り下ろし、何度もかぶりを振った。こんなタイムで終わらせたくなかった。皆が驚愕するようなタイムを出したかったんだ。そんな、納得していない表情だった。 仕方がない……自分にそう言い聞かせると、ボルトは観客の前で手を広げながら膝をつき、そしてゆっくりとグラウンドにキスをした。 「今までありがとう。さようなら」 ゆっくりと語りかけ、別れを惜しんだ。 初出場のアテネ五輪からリオ五輪まで、トラックは時に優しく、時に冷たかった。今夜も随分と苦しめられた。でもトラックがあったから、ここまで上り詰めることができた。様々な思いが詰まったキスだった。 リオデジャネイロのオリンピ

    何度も、何度も観客に感謝のお辞儀。ボルトが告げたトラックへの別れ。(及川彩子)
  • <致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」(小泉世里子)

    頭角を現すきっかけは、バイエルンで取り組んだ筋トレ。 2人はバイエルン・ミュンヘンのスポーツドクターの元を訪ね、たとえ曲がった背骨でも走れる体になれないものかと懇願した。ドクターは体幹の筋肉を徹底的に鍛えることで、骨盤の揺れからくるハムストリングスへの負担を少しでも軽減させようと提案した。3年計画で20にも上るプログラムが組まれ、腹筋、背筋、大殿筋など骨盤周辺のあらゆる筋肉が強化の対象になった。 そのトレーニングは過酷なものであったろうが、何よりも圧倒的な結果がボルトとミルズを励ましていった。 怪我が少なくなっていったのに加え、200mで国際大会のメダルを獲得するなど徐々に頭角を現していったのだ。'07年には大阪で行なわれた世界選手権で銀メダル。この頃になるとミルズも100mへの出場にNOを告げることはできなくなり、ボルトは北京で世界の頂点に登りつめていく。 曲がった背骨を守るために始めた

    <致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」(小泉世里子)
  • <致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」(小泉世里子)

    圧倒的な存在感でアスリートの頂点に君臨する25歳。 だが、その身体にはある“神秘”が隠されていた。 世界で初めて科学的分析を許されたディレクターが見た、 スプリンターの葛藤と世界記録を生む常識外の肉体とは。 「フォーミー……」 「人類最速の男を楽しんでる?」 「フォーミー……」 あえてそっけない日語にするならば、「僕にとっては」ということになるのだろうか。 だがその語感は、私ではない何処かに向けて呟かれているようでもあり、あたかも「あくまで僕が勝手に思うことなんだけど……」と前置きをしているような、控えめで頼りないものに聞こえた。 それは、気にしなければ通り過ぎるだけの会話の枕に過ぎなかったし、誰しもが持つただの口癖なのかもしれなかったが、何故だか私の胸に静かに残った。 北京五輪直前、パウエルをあっさり抜き去った“はた迷惑な超人” 通りでは、巨大なサウンドシステムを積んだワゴン車から、数

    <致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」(小泉世里子)
    h1romi
    h1romi 2016/08/18
    千代の富士みたいだ
  • <致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」(小泉世里子)

    驚愕の告白。「ボルトの体に“障害”さえなければ……」 その話を聞いたのは、あまりに突然のことだった。 2011年秋、私たちはボルトがヨーロッパの拠点としているロンドン郊外の陸上トラックで、ミルズに何度目かのインタビューをしていた。 話題は多岐にわたったが、その時はなぜボルトが100mを走ることに長らく反対し、200mのスペシャリストになるよう説得してきたのかという、これまでも何度も聞かれてきたであろう話をしており、おそらくはメダルが確実な競技に専念させたいという、ミルズのコーチとしての主義に即す結論に着地するはずだった。 「ボルトだって何度も走りたがったんだよ。100mを。俺を困らせないでくれって思ったものさ。そして私自身悩みに悩んだんだ。ボルトの体に“障害”さえなければって……」 ボルトの体に障害――。 それは、つい口が滑ったというにはあまりにお粗末で、まるで喋ることを決めていたかのよう

    <致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」(小泉世里子)
  • フェルプス、メダル28個を勲章に去る。“後継者”萩野に託したメッセージ。(松原孝臣)

    2000年代から今日にかけて競泳界に君臨し続けて、オリンピックの歴史に名を刻んだスーパースターが、プールから去った。 オリンピックは、それぞれの大会にスーパースターと言ってさしつかえない選手がいて、大会に彩りを添える。 今大会にも世界中が注目するアスリートたちがいる。その1人に、競泳のマイケル・フェルプスがいた。 8月7日に幕を開け、13日に終了した競泳において、日を重ねるにつれ、フェルプスへの熱狂は増していった。 競技後半になると、フェルプスの出場するレースの前には手拍子が起こるようになった。場内の大画面に大きなヘッドホンをつけて、フードをかぶって招集所に向かう姿が、招集所でスマートフォンを操作している姿が映し出されると、それだけで歓声が沸き起こった。 そしてアナウンスとともに姿を見せれば、歓声は地鳴りのようにボリュームを上げた。 コーチからは“まさかフェルプスが来るとは”の声が。 今大

    フェルプス、メダル28個を勲章に去る。“後継者”萩野に託したメッセージ。(松原孝臣)
    h1romi
    h1romi 2016/08/16
  • 福原愛「傷をえぐるみたいで……」キム対策を石川に聞かなかった理由。(松原孝臣)

    必死に涙をこらえていた。涙がこぼれそうになるのを、抑えようと努めていた。 オリンピック4度目の出場で初めてベスト4に進出した福原愛は、8月10日の午前10時から行われた準決勝で、ロンドン五輪金メダリストの李暁霞(中国)に0-4で敗北した。 午後8時30分からの3位決定戦では、石川佳純が初戦で敗れたキム・ソンイ(朝鮮民主主義人民共和国)と、銅メダルをかけて戦うことになった。 試合を前に、懸念はあった。 キムは、福原が苦手としてきたカットマン(ボールにバックスピンをかけて打ち返して相手のミスを狙い、チャンスと見ればスマッシュなどを狙う)であること。しかも、過去一度も対戦経験のない選手であること。他競技でもよくあるが、北朝鮮の選手は国際大会にあまり出場していないため、分析の材料が多くない。 得意な戦型の選手が相手であれば、対戦経験がなくても試合中に素早く対応できるが、苦手なタイプに対しては、通常

    福原愛「傷をえぐるみたいで……」キム対策を石川に聞かなかった理由。(松原孝臣)
    h1romi
    h1romi 2016/08/12
    石川佳純の分も闘うって気持ちにはならないんだね。いい子だと職場のおっさん達が絶賛してたのはこういうことか。
  • スーパーラグビー参戦は成功なのか。岩渕健輔が感じる明確な進歩と変化。(岩渕健輔)

    こんにちは。日ラグビー協会、代表GMの岩渕健輔です。今回はリオデジャネイロ五輪まで、また皆さんとともに日ラグビーの現状について、一緒に考えていきたいと思います。 皆さんもご承知の通り、今年の日ラグビー界では大きな動きがありました。その1つはサンウルブズというチームが新たに結成され、2月からスーパーラグビーに参戦し始めたことです。 ではサンウルブズの活動を、どう評価すべきなのでしょうか。 まずポジティブな面で言えば、日のチームがスーパーラグビーで戦っているのが当たり前になったというのは、大きな収穫として挙げられます。 日ラグビー界全体が、それだけ世界を身近なものとし、当に厳しい環境の中で切磋琢磨していけるようになったということに他ならないからです。 また試合会場に足を運んでいただいた方はご存知かと思いますが、サンウルブズの試合には、これまでラグビーに関心を持たれなかった方にもたく

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  • 「NZ人を10人いれるか!?」エディの“怒り”の真相。~挑発で日本ラグビーを変える!~(大友信彦)

    「勝たなきゃダメですね」 多くの人が同じ言葉を口にした。エディ・ジョーンズ新ヘッドコーチ(HC)を迎えたラグビー日本代表は、アジア5カ国対抗では全勝優勝を飾ったものの、パシフィックネーションズ杯(PNC)では3戦全敗。『ジャパンXV』の名で臨んだフレンチバーバリアンズ(FB)との2戦にも連敗。春シーズンは4連勝のち5連敗に終わってしまった。 それでもファンは温かい拍手を贈り、選手は手応えを口にし、指揮官も選手を称え続けた。FBとの第2戦後も「この強い相手に対して勝てそうな流れを作った選手たちを誇りに思う。負けたのは現在のジャパンの力。悔しいけれど、2年後はこのクラスに勝ちたい」と言った。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 629文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく N

    「NZ人を10人いれるか!?」エディの“怒り”の真相。~挑発で日本ラグビーを変える!~(大友信彦)
  • 錦織圭のライバルは誰になるのか?“ポスト・ビッグ4”世代を考える。(山口奈緒美)

    2012年、ウィンブルドン選手権の3回戦で対戦したデルポトロ。この時も錦織は3-6、6-7、1-6で敗れていた。 全米オープンの前哨戦として重要なシンシナティ・マスターズの決勝戦は、ノバク・ジョコビッチとロジャー・フェデラーのトップ2対決となったが、錦織圭が出場していたらどう絡んでいただろう――。 錦織が疲労のため欠場したこの大会、ドローで錦織が抜けたところに入った予選上がりのアレクサンドル・ドルゴポロフ(26歳)が準決勝まで進み、調子でないジョコビッチをあと2ポイントのところまで追い込んだ事実から、そんなことを考えずにはいられない。 グランドスラムとともにマスターズシリーズの優勝は、なお錦織にとって未到達の目標であり続けている。 2011年以降、〈ビッグ4〉以外でマスターズシリーズを制したのはダビド・フェレール、スタン・ワウリンカ、ジョーウィルフライ・ツォンガの3人しかいないのだが、今

    錦織圭のライバルは誰になるのか?“ポスト・ビッグ4”世代を考える。(山口奈緒美)
  • プロテニス選手の高齢化が進む――。錦織圭は、東京五輪で活躍できるか?(山口奈緒美)

    始めてATPツアーで優勝した18歳の頃の錦織。あれからもう7年が過ぎ、今季は世界ランキング4位まで記録するまでになった。 錦織圭が左ふくらはぎのケガの悪化で2回戦を棄権したウィンブルドン選手権。優勝したのは昨年と同じくノバク・ジョコビッチ(28歳)でした。決勝の相手も昨年同様にロジャー・フェデラー(33歳)。昨年と異なったのは、ベスト4、ベスト8の顔ぶれの傾向だ。 昨年は、錦織よりも年下のミロシュ・ラオニッチ、グリゴール・ディミトロフがベスト4入りし、まだ19歳だったニック・キリオスがワイルドカードからベスト8に進出するなど、新風吹き荒れた大会だった。しかし今年の最年少は、春のデビスカップで打倒日に貢献したカナダの25歳バセク・ポスピシル。29歳のリシャール・ガスケの8年ぶりのウィンブルドン・ベスト4入り、30歳のジル・シモンの初のベスト8入りなど、“新鮮どころ”もベテランが支配した。

    プロテニス選手の高齢化が進む――。錦織圭は、東京五輪で活躍できるか?(山口奈緒美)
  • なでしこの決勝進出は「運」なのか?最後まで走った大儀見の、ある確信。(栗原正夫)

    グループリーグから徐々に調子を上げてきたなでしこだったが、強敵イングランドには最後まで苦しめられた。それでも勝つのが、彼女達がなでしこたる所以なのだ。 カナダ女子サッカーW杯に出場中の日本代表「なでしこジャパン」(FIFAランク4位)は現地時間7月1日、準決勝でイングランド(同6位)に2-1と競り勝ち、大会連覇に王手をかけた。 ともにPKで1点ずつを取り合って迎えた後半、なでしこはパワーとスピードを前面に出してきたイングランドを相手に、なかなかペースを掴めずに苦しい時間が続いていたが、92分にオウンゴールというラッキーな形で決勝点を手にし、2大会続けての決勝に駒を進めた。 なでしこにとってイングランドは、優勝した前回のドイツ大会のグループリーグで唯一黒星(0-2)を喫した相手でもある。直近の対戦も'13年6月に敵地で対戦し1-1と引き分けで、通算成績は2分け2敗と勝ちがない。ただ、前日の記

    なでしこの決勝進出は「運」なのか?最後まで走った大儀見の、ある確信。(栗原正夫)
  • グランドスラム準優勝で「謝罪」。なぜ錦織圭の武器は機能しなかった?(秋山英宏)

    激闘を終え、準優勝のトロフィーを手にする錦織圭。世界ランクは日人史上最高の8位となり、再びトップ10に返り咲いた。 「チームのみんな、ゴメンナサイ。今日はトロフィーを手にできなかったけれど、次は必ず取ります」 全米オープン、表彰式のインタビューで錦織圭は、家族招待席のコーチや仲間に詫びた。 テニスは個人スポーツだが、トップクラスの選手はコーチ、トレーナー、さらにはマネジャーなど数人がチームでサポートする。錦織はこの日、マイケル・チャン、ダンテ・ボッティーニの両コーチや中尾公一トレーナーら、献身的に支えてくれたメンバーに優勝の謝辞を捧げることはできなかった。 マリン・チリッチ(クロアチア)との過去の対戦成績は5勝2敗、今季に限れば2勝0敗だった。しかし、世界ランク3位のロジャー・フェデラーと7位のトマーシュ・ベルディハを破って勢いに乗るチリッチは、以前とは別人だった。 チリッチは17のサ

    グランドスラム準優勝で「謝罪」。なぜ錦織圭の武器は機能しなかった?(秋山英宏)
    h1romi
    h1romi 2014/09/10
    悔しいけどまた次回に楽しみが残ったってことかな。ありがとう。
  • 特別扱いの終わりと、自力での一軍。斎藤佑樹が遂に「高校時代」を超えた。(中村計)

    2度目のデビュー戦。そんな風に見えた。 7月12日、日ハムの斎藤佑樹が今季3度目の一軍の先発マウンドに立った。 5回1失点。勝ち星はつかなかったが、上々である。斎藤は明らかに今までの斎藤とは違う。 兆しはあった。この春のキャンプのことだ。 「今日、コツをつかみました」 そう確信めいて語っていたのは、2月23日のことである。事実、その日を境に見違えるように斎藤のストレートは力強くなった。 オープン戦でも好投し、人も「プロ入りしてからいちばん調子がいい」と手応えをつかんでいた。いやもっといえば、大学・プロを通じて初めて、高校3年夏、甲子園で全国制覇を遂げたときの自分を超えたと思えた。 直情的で短気だからこそのポーカーフェイス。 3月29日の今季初登板は4失点で負け投手にこそなったものの、内容はよかった。何より、あんなに楽しそうに投げている斎藤を見たのは久々のことだった。 4月10日の2戦目

    特別扱いの終わりと、自力での一軍。斎藤佑樹が遂に「高校時代」を超えた。(中村計)
  • 露にした感情、勝負観、代表引退。内田篤人が見せたもの、語ったこと。(寺野典子)

    右脚にはいまだにテーピングが巻かれているが、それを全く感じさせないプレーで攻守ともに誰よりも自らの持てるものを発揮した内田篤人。 試合終了の笛がスタジアムに響くと、ソックスをおろし、ひもを外した。 ピッチ中央に集まるチームメイトとは違う方向へと、内田篤人は歩いていた。そしてベンチの中央に座り、スタジアムをしっかりと見渡したあと、下を向いた。その肩が震えていたかまでは、わからない。 しかしチームスタッフに肩を抱かれ、スタンドのサポーターの元へ挨拶に向かうために立ち上がった内田は、その腕で顔をぬぐった。サポーターの前で深々と頭を下げたあとは、最後まで顔をあげられなかった。しばらくは、頭を垂れたままだった。 「どうしても勝ちがないと、報われない気はする。でもまあサッカーやってきて、そういう努力というのは、報われないことのほうが多い。それが、勝負の世界かなという気がしますけど。報われるときなんて

    露にした感情、勝負観、代表引退。内田篤人が見せたもの、語ったこと。(寺野典子)
  • 7人制女子日本代表が世界王者・豪州を撃破!~女子ラグビーの歴史的快挙~(大友信彦)

    世界チャンピオンに勝った! 金星の報が届いたのは、トップリーグ開幕戦の行なわれた8月31日だった。この日、マレーシアのボルネオで開幕した「アジア・パシフィック女子セブンズ」の初戦で、女子日本代表が14対10でオーストラリアを撃破したのだ。 オーストラリアといえば、女子部門が初採用された2009年の7人制W杯ドバイ大会で優勝した世界女王だ。その大会に日はアジア1位で出場しながら1勝もできず、全敗に終わった。今回はオーストラリアが若手中心だったとはいえ、歴史的快挙だ。 「すごく落ち着いてましたね。オーストラリアに勝ってもはしゃぐでもなく、すぐ次の試合に向けて切り替えていた」と浅見敬子ヘッドコーチ。その言葉通り、僅か1時間強のインターバルで行なわれた、アジア最強のカザフスタンとの一戦にも21対5と完勝する。これで勢いに乗った日女子は、続く2日目もシンガポール、中華台北に圧勝。最終日は準決勝で

    7人制女子日本代表が世界王者・豪州を撃破!~女子ラグビーの歴史的快挙~(大友信彦)
  • <ラグビー日本代表、成長の理由> エディ・ジョーンズ 「ジャパンはさらに進化する」(大友信彦)

    ウェールズ戦の歴史的勝利に始まり、難敵のカナダとアメリカも撃破。 的確かつ妥協なきアプローチで、ジャパンを未踏のステージへと導いた。 指揮官が春シーズンを総括し、来たる“大一番”への展望を明かした。 ひとつの勝利が歴史を変える。チームという生きものを変える。周りからの視線も、当事者たちの意識さえ劇的に変えてしまう。 2013年6月は、ラグビー日本代表にとって特別な意味を持つ時間だった。 6月15日、秩父宮ラグビー場を埋めた2万人超の大観衆の見つめる中、IRB世界ランク5位の欧州王者にして世界ラグビー最強国の一角、ウェールズから23対8で歴史的な勝利を奪った。そこから中3日、強行軍で臨んだパシフィックネーションズ杯(PNC)のカナダ戦は16対13。激しい雨が叩き付ける中でアグレッシブにボールを動かし続け、消耗戦に持ち込み、以前なら力尽きていたラスト10分に逆に突き放して接戦を制した。 さらに

    <ラグビー日本代表、成長の理由> エディ・ジョーンズ 「ジャパンはさらに進化する」(大友信彦)