ブックマーク / number.bunshun.jp (72)

  • 「世界9位」より重い「ナダル圧倒劇」。錦織圭が得た“トップ5”という評価。(秋山英宏)

    「応援していただいた皆さんにお詫びをしないと」とコメントした錦織。クレーコートで行われる全仏オープン(5月25日開幕)は、コーチのマイケル・チャンが1989年に優勝した大会でもあるので、大いに期待したい。 コートサイドで試合を見つめるコーチ、トニ・ナダルの表情がすべてを言い表していた。 ラファエル・ナダルの叔父でもある彼の目の前にあったのは、にわかに信じられない光景であったはずだ。過去6戦全勝の錦織圭に、ナダルが一方的に叩かれていた。錦織がゲームを支配し、ナダルはそれに対応するだけだった。トニコーチは途方に暮れているように見えた。そのボディランゲージが弱々しかった。 マドリード・オープン、5月11日の男子シングルス決勝で、錦織は世界ランク1位のナダルから第1セットを奪い、第2セットも相手のサービスゲームを先にブレーク、4-2と先行した。ナダルからの初勝利と、マスターズ1000グレード大会で

    「世界9位」より重い「ナダル圧倒劇」。錦織圭が得た“トップ5”という評価。(秋山英宏)
  • イビチャ・オシム、日本への提言。「メディアも選手も監督も準備せよ」(イビチャ・オシム)

    2月に装いも新たにスタートした『メルマガNumber』。 Number Webのリニューアルを記念して、1号分を無料公開します! 今回はイビチャ・オシムの「オシム問答」。日本代表への言及が多く、 読者からの反響も非常に大きかった4月25日配信分です。 オシムは現在の日をどう見ているのか、随所にうかがわせてくれます。 聞き手の田村修一氏とのやり取りも含め、ぜひお楽しみください。 〈読者の皆さまへ〉 ワールドカップが近づくにつれて、オシムの周辺が慌ただしくなるのはいつものことではありますが、今回はボスニア・ヘルツェゴビナが初出場ということもあり、日からの取材以上に地元ボスニアのメディアの取材や協会関係の仕事(直接彼が関わっていないにせよ)などでかなり慌ただしい様子です。 さて、「今週のオシム問答」ですが、ワールドカップまで2カ月を切ったこの時期であるからこそ、先に進むのではなく立ち止まるべ

    イビチャ・オシム、日本への提言。「メディアも選手も監督も準備せよ」(イビチャ・オシム)
  • 恐ろしく密度の濃いストレート負け。ナダルにあり錦織圭に無いものとは?(秋山英宏)

    「(メジャー大会で身体に)痛いところもなく戦えたことは、昔はなかったこと。身体が強くなっているのを感じています」と試合後にコメントした錦織。 恐ろしいほど密度の濃いラリーだった。 全豪オープン4回戦、第16シードの錦織圭は、男子ツアー随一のストローカー、第1シードのラファエル・ナダル(スペイン)に真っ正面から打ち合いを挑んだ。 両者の前回の対戦は昨年の全仏オープン。全仏のレッドクレー(赤土)と全豪のハードコートでは、ボールの弾み方が大きく違う。ハードコートの特徴である球足の速さを生かすために、錦織は速攻を仕掛けた。一方のナダルも全豪のコートにプレーを適応させて、いつもより低い弾道の速いボールを繰り出してきた。 両者が放つボールの速さ、深さと角度、そして動きのスムーズさが尋常じゃない。思い出したのが、このロッド・レーバー・アリーナ(全豪のセンターコート)で何度も見てきたナダルとノバク・ジョコ

    恐ろしく密度の濃いストレート負け。ナダルにあり錦織圭に無いものとは?(秋山英宏)
  • <語り継がれる天才ライダー> 「ノリック、転ぶな!」~阿部典史、2つの鈴鹿グランプリ~(小堀隆司)

    生涯で残した成績を振り返ると、突出して速いライダーではなかった。 だが、彼のレースを思い出すとき、その印象は鮮烈としか言いようがない。 '90年代半ば、ノリックは紛れもなくレース界のスーパースターだった。 ファンに驚きと感動をもたらした'94年と'96年の鈴鹿のレースを 関係者の証言とともに再現する。 空前にして、絶後――。 国内で開催されたグランプリ最高峰クラスのレースで、観客が総立ちになって拳を突き上げるなど、後にも先にも見たことがない。視線を一点に集めた先に、ヘルメットから後ろ髪をなびかせた日人ライダーがいた。 ノリックこと、阿部典史。 '90年代のバイクシーンを、熱狂の色に染めた一人だ。とりわけ'94年と'96年の日グランプリは、ノリックの、ノリックによる、ノリックのためのレースだった。 彼はなぜファンの支持を一身に集め、時代の寵児となり得たのか。 まずは、'94年4月24日の

    <語り継がれる天才ライダー> 「ノリック、転ぶな!」~阿部典史、2つの鈴鹿グランプリ~(小堀隆司)
    h1romi
    h1romi 2013/03/25
    なんか目から知るがでそう。。。。
  • 三浦知良×澤穂希 「キングとクイーンの約束」~なでしこのみなさんを食事に招待します~(Number編集部)

    五輪開幕直前、日スポーツ界の「キング」と「クイーン」による 対談が、7月19日発売の『Number』808号で初めて実現しました! 日女子サッカー界の悲願ともいえる金メダルに挑む澤穂希に、 三浦知良はどんな言葉を贈るのか――。 カズ   「めまい症」はもう大丈夫なのかな。 澤   100パーセント大丈夫です。 カズ   それを聞いて安心したよ。だけど澤さんにとって、ピッチの外から一度サッカーを見られたことは良かったと思う。 澤   確かにいろいろ感じることがありました。チームの状態を客観的に見ることができましたし、出られなかった日々はすべてがマイナスではなかったですね。 2人の出会いは約20年前に遡る。1991年、中学1年生の時に読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)に入団した澤は、すぐ傍で練習する読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)のカズを憧れのまなざしで見つめてい

    三浦知良×澤穂希 「キングとクイーンの約束」~なでしこのみなさんを食事に招待します~(Number編集部)
  • <私とカラダづくり> 川澄奈穂美のトレーニングに潜入! 「理想はケモノのカラダです」(生島淳)

    あの人に学ぶカラダづくり。 世界と戦うアスリートから、合気道6段の思想家まで、 気になるあの人たちの、カラダづくりを覗いてみよう。 トップバッターは2011年のシンデレラガール、川澄奈穂美。 157cmのカラダで、なでしこを世界の頂点に導いた秘密とは? 神戸のジムを訪ねると、見事な筋肉を身にまとった彼女がいた――。 「理想のカラダは……ケモノのようなカラダです!」 開口一番、川澄奈穂美はそう言ったのだ。 でも、ケモノのようなカラダって、どんなカラダなんだろう? 「アスリートですから、見ていて美しいカラダってことじゃないですかね」 なでしこジャパンがW杯を制してから、周りは変化したけれど、川澄自身は以前とは何も変わることなく、毎日のトレーニングに励んでいる。「なでしこ」と聞くと淑女のイメージが強いが、実際の川澄奈穂美を侮ってはいけない。彼女は鍛え抜かれたアスリートだ。そんな彼女の理想のカラダ

    h1romi
    h1romi 2011/12/19
    かっこいい
  • ようやく復調してきた「優しい男」。内田篤人の声に出さない忍耐力。(了戒美子)

    9月下旬から11月上旬まで、「歩くだけで痛いくらい」のケガによって公式戦から離れていた内田篤人。11月中旬にはフル出場も果たすなど、現在はほぼ完璧な回復ぶりを見せている 今季に入って間もない頃のある試合後、ミックスゾーンでこんなことがあった。ベンチ入りしたが出場機会のなかった内田篤人は「今日は答えられることなんてないですよ」などと言いながら、気楽な表情で登場した。選手によっては、試合に出ていないが故のイライラや、気恥ずかしさ、はたまた面倒くささから報道陣を避けるケースもあるのだが、内田はそういうことをするタイプではない。 その日、話は思いのほか弾んだ。 試合メンバーから外れている間は筋力トレーニングに精を出していること、それもシャルケ生え抜きでまだ18歳ながらほぼレギュラーのドラクスラーと「お前の筋肉、たいしたことねーなー」などと言い合いながら、並んで筋トレマシンと格闘していることなどを楽

    ようやく復調してきた「優しい男」。内田篤人の声に出さない忍耐力。(了戒美子)
  • 日本ハムが貫いたドラフトの信念。菅野騒動で問われる球団の姿勢。(中村計)

    津田敏一日ハム球団社長が菅野の指名権獲得を確認した瞬間。「スカウティングと育成で勝ち続けるのが、ウチのモットー」と胸を張った津田社長 当にそうだろうか。 先日のドラフト会議で、日ハムが東海大の菅野智之を先方に何の断りもなく指名したことについて、一部の関係者が「失礼だ」と憤慨しているという。 しかし、指名する場合、事前に監督等に連絡を入れるのは「礼儀」ではない。あくまで球界の単なる「慣習」だ。 どのような展開になるのかもわからないのに、指名するであろう選手にいちいち連絡を入れていたのではキリがない。おそらく今年も、何の連絡もないままに指名を受けた選手は菅野だけではないだろう。 そもそも日ハムでは、ドラフト当日まで、誰を指名するかを知っているのはGMを始めとするほんの数名の幹部だけだ。 日ハムのスカウト、岩井隆之が明かす。 「僕は横浜でもスカウトをしていたんですけど、日ハムにきてび

    日本ハムが貫いたドラフトの信念。菅野騒動で問われる球団の姿勢。(中村計)
    h1romi
    h1romi 2011/10/31
    そうそう悲劇もあったよね。
  • ザック流の“マネジメント”とは?日本代表に漂う独特の緊張感の正体。(二宮寿朗)

    欧州視察に出たザッケローニ監督は、マジョルカの家長昭博に「もっと試合に出て、頑張って欲しい」と言い、試合出場が少ないケルンの槙野智章に対しては「絶対に出られないレベルじゃない。いつか絶対にチャンスが来るから油断しないように」と言葉をかけた アルベルト・ザッケローニが2週間の欧州視察を終えて日に戻ってきた。 指揮官が自分の目でチェックしてきたのは香川真司、槙野智章の現代表メンバーにとどまらず、最近代表に招集していない森貴幸、乾貴士、家長昭博たちであった。 森らを視察したのは何も11月に行なわれるタジキスタン、北朝鮮戦のアウェー2連戦での招集と直接つながるものではない。今後を見据えて「俺は変わらず君を見ている」というメッセージを送る意味もあれば、チームでの活動に専念している彼らの“その後”を把握する目的もあっただろう。森たちはあらためてザッケローニから「見られている」ことを強く意識した

    ザック流の“マネジメント”とは?日本代表に漂う独特の緊張感の正体。(二宮寿朗)
  • ラミレスがラミレスでなくなった日。ファンに愛された選手が歩むべき道。(鷲田康)

    37歳になったラミレスだが、今季は来日以来11年連続で20塁打以上という外国人新記録を樹立。巨人との契約が切れる今オフの去就が注目される 巨人のアレックス・ラミレス外野手はいつも労を厭わずファンサービスに取り組んでいて、その姿勢には当に頭が下がる思いがしている。 心に残っている光景がある。 ヤクルトから巨人に移籍してきた2008年の宮崎キャンプ。その初日の出来事だった。 朝のアップが始まり、選手が続々とグラウンドに出てくる。スタンドのファンは思い思いの名前を呼んで声援を送っていた。 しかし、選手の中でその声に手を上げたり、声援の方を振り返って応える選手はほとんどいなかった。こういうケースで選手が反応すると、すかさずあちこちからまた声援が飛ぶ。それにいちいち反応していたらキリがない。だから選手たちも――これは巨人に限らないことだが――あまり積極的に応じることはないのが通例だったわけだ。

    ラミレスがラミレスでなくなった日。ファンに愛された選手が歩むべき道。(鷲田康)
    h1romi
    h1romi 2011/10/19
    ラミちゃんヤクルト禁断症状とか、ヤクルトのユニフォーム最近着てないとかそんなんじゃないのかしら。ツバクローとちゅっちゅしたら元気になるお
  • なぜ小林可夢偉は「特別」なのか?脅威のオーバーテイクの秘密。(尾張正博)

    過去の日人F1ドライバーは、さまざまな形で必ず大きな“スポンサー”が付いていた。小林はそれが無いにもかかわらずF1のシートを獲得しているのだ 多くの日人ジャーナリストたちに混じって、あるイタリア人ジャーナリストがBMWザウバーのチームハウスの前で時折腕時計に目をやりながら立っていた。聞けば、「今日はカムイに話が聞きたいんだけど、これからフェラーリのチームハウスでも会見があるんだ。もし、その間にカムイの会見が始まったら、代わりに聞いておいてくれないか。『どうして、鈴鹿であんなにオーバーテイクを仕掛けられたのか?』と」 そのジャーナリストは、直前に行われたトップ3ドライバーによる記者会見で、トップを走るベッテルに一度も仕掛けることなく2位に終わったウェバーから「鈴鹿ではスタートで前に出ないと、抜けないからね」という敗戦の弁を聞いていた。これはウェバーが負け惜しみで言ったのではなく、彼の

    なぜ小林可夢偉は「特別」なのか?脅威のオーバーテイクの秘密。(尾張正博)
  • <通訳から見たイビチャ・オシム> 千田善 「言葉だけでは人は動かない」(猪狩真一)

    代表監督時代から現在まで、4年以上にわたり通訳として 向き合ってきた彼に、人間オシムの魅力とは何かを聞いた。 '06年7月の日本代表監督への就任以来、イビチャ・オシムの隣には常に彼の姿があった。その光景は、オシムが脳梗塞に倒れて職を退いた後も変わることなく、厳しいリハビリをこなしながら日協会のアドバイザーを務め、ついに6年間過ごした日を離れることになる'09年1月まで続いた。 千田善。旧ユーゴスラビアをフィールドとする研究者として、'80年代から'90年代にかけ、留学時代も含めて10年近い在ユーゴ経験を持っていた彼は、突然舞い込んだオシムの通訳という仕事をなかば歓喜しながら引き受けた。中学、高校とサッカーに打ち込み、現在もシニアリーグでプレーする元サッカー小僧の千田にとって、オシムは、魅力的なサッカーを見せてくれる稀有な指揮官として、在ユーゴ時代の憧れの存在だったのだ。 オシムが好むサ

    <通訳から見たイビチャ・オシム> 千田善 「言葉だけでは人は動かない」(猪狩真一)
    h1romi
    h1romi 2010/09/29
    loveオシム爺さん