「アホの坂田」の愛称で親しまれた、お笑いタレントの坂田利夫さんが29日、老衰のため大阪市内で亡くなりました。82歳でした。 坂田利夫さん、本名、地神利夫さんは大阪市出身で、1964年に吉本新喜劇に入ったあと漫才コンビ「コメディNo.1」を結成し、1979年には上方漫才大賞を受賞しました。 「アホの坂田」の愛称で親しまれた坂田さんは「あ~りが~とさ~ん」や「あんたバカね、オホホ~」などのギャグでお茶の間の人気を集め、吉本新喜劇のほかテレビやCMの多方面で活躍しました。 29日、亡くなったお笑いタレントの坂田利夫さんのもとには、長年、親交のあったタレントの間寛平さんが定期的に訪ねていました。 間さんの公式SNSには坂田さんのもとを訪れた際の写真が投稿されていて、2023年11月27日には坂田さんのベッドで一緒に横になりながら、「寒いので2人で布団に潜り込んでます」と投稿しています。 9月には「
上岡龍太郎さんの訃報に、ABCテレビ「探偵!ナイトスクープ」で最高顧問として、初代局長を支えた作曲家、キダタロー(92)が2日、所属事務所を通じてコメントを発表した。 「彼は呪術的(オカルト)なことに異様なぐらい憎悪を示しました。昔、家族の方ががんに侵された折り、呪術師たちに翻弄されて苦しんだのが原因だと聞いたことがあります」とまずコメント。上岡さんが怒って、収録現場から帰ってしまった「有名な『探偵!ナイトスクープ』途中退場もオカルトの扱いが原因でした。私も現場に居合わせたんですが、彼のあまりの思いに何もできませんでした」と振り返った。 人柄については「上岡さんは常に『上岡龍太郎』という頑固で冷静な鎧をまとい、内心を見せない男でした」と説明したが「が、ほんの少し隅にポロリと鎧の下を見せることがあり、私は2回見ました」と続けた。 「東京進出のほんの初期のころ、都内のテレビ局でご一緒しました。
口惜しいです。 ありがとうございました。 上岡龍太郎師匠。 面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険な おっちゃんが おったんや。 上岡師匠を語る事が難しい理由は、いくつもある。 ・そもそも現役引退が23年も前である事。 ・引退がネット普及の直前で、その足跡がネット上に殆ど無い事。 ・増田自身がアラフィフで、 実際には上岡師匠の活躍を引退前の5~6年しか知らない事。 (追記修正:ごめんなさい。増田はアラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」 という気持ちが空回りしてしまいました。) ・上岡師匠の芸は司会とトークが強く、 その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。 考えが まとまらない。 思いつくままに書く。 大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田が老害になった証拠なのだろう。 しかし、 若い人に語り継ぐという方針でないと 上岡師匠に関して
ИРО法人全裸中年男性理解促進センター @OKB1917 テレビで芸能人というか関西芸人の人とたまにご一緒する訳ですが、時々「東京=中央=権威が我々を騙そうとしている。そんなものは見抜いて抗ってやる」という強い意志を感じるのですよぬ。それが上手い方向に行ってる人とひたすら変な方向に凝り固まって手がつけられない人がいるのだと思う。 2021-08-19 07:08:18 BlackMarines @BlackMarines そういう意味で今の関西民放における政治的な尊西攘夷のスタンスや、後の橋下維新的な土壌を作り上げた上岡龍太郎と亡くなったたかじんさん、そして上手くその中を遊泳してきた辛坊治郎の罪は重い、というか。 twitter.com/OKB1917/status… 2021-08-19 10:42:48
1990年代の感覚だとダウンタウンはあくまでウンナンやとんねるずと並ぶ感じだったよな。 内村や石橋と比べて松本だけ飛び抜けてすごかったとか人気あったとかそんな印象はぜんぜんないんだが。 もちろん当時はBIG3+紳助がそれ以上の存在感で居座ってたし。 2000年代なんかぜんぜんパッとしてなかったイメージだけどな。 なんかビートたけしを目指して映画をつくりはじめて大コケしたり。 下からはナイナイとかロンブーとか出てきて「世代交代していくなあ」と思ったり。 ダウンタウンの冠番組が減って、めちゃイケとかのほうがぜんぜん勢いあったし。 なにより島田紳助が全盛期を迎えて芸能界を牛耳ってたしな。 それがいつのまにか「若手はみんな松本に憧れてる」「お笑いの神」みたいな扱いになっている。 いつからだ? M-1の審査員になったときか? それとも島田紳助が引退したとき? 紳助が引退してM-1の顔を松本が引き継い
元タレントの上岡龍太郎氏が、5月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが発表された。81歳だった。 いま40代以上の一般的なテレビ視聴者であれば、上岡のことを知らない人はほとんどいないだろう。彼はかつて数多くの番組で司会を務めた人気芸人だった。 しかし、若い世代の中には彼のことをよく知らないという人もいるかもしれない。その理由は、上岡が2000年に引退を発表して、二度と表舞台に復帰することがなかったからだ。去り際があまりにも鮮やかだったため、下の世代の人にはその存在すら認知されていない可能性がある。 彼は人気絶頂期になぜ自ら引退を選んだのか。毀誉褒貶の激しい上岡龍太郎とはそもそもいかなる人物だったのか。その歩みを紐解いていきたい。 1942年、上岡龍太郎は京都府に生まれた。物心ついたときからラジオで流れてくる漫才や落語を熱心に聞いていた。中学生のときには時代劇に
テンポが良く風刺の利いた語り口で愛され、「探偵!ナイトスクープ」をはじめ人気番組の司会者などとして幅広く活躍した元タレント、上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう、本名・小林龍太郎=こばやし・りゅうたろう)さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため亡くなった。81歳。葬儀は近親者で営んだ。 京都市出身。音楽活動の後、18歳だった1960年に故・横山ノックさんらと「漫画トリオ」を組み、横山パンチを名乗った。「パンパカパーン、今週のハイライト」のかけ声で始まる時事ネタ漫才が注目され、トリオのしゃべくり漫才を確立。人気の絶頂にあった68年、ノックさんの参院選出馬により解散した。 1人で活動を始めてからは、持ち前の批判精神と芸能に関する豊富な知見を生かし、理路整然とした辛口の語りでテレビ・ラジオで活躍した。「ラブアタック!」(朝日放送)や「ノックは無用!」(関西テレビ)、「鶴瓶・上岡パペポTV」(読売
テレビ番組の司会などで関西を中心に活躍した、元タレントの上岡龍太郎さんが、肺がんと間質性肺炎のため、大阪府内の病院で5月19日に亡くなりました。81歳でした。 上岡龍太郎さんは1942年に京都市で生まれ、1960年に故・横山ノックさんらとともにトリオ漫才の「漫画トリオ」を結成すると、ノックさんの明るく強烈な「ボケ」に突っ込みを入れるスタイルで一躍人気を得ました。 1968年に「漫画トリオ」の活動を休止してからは、タレントとして数多くのテレビのバラエティー番組で司会などとして活躍し、辛口のコメントを交えた切れ味のよい流ちょうな話しぶりで親しまれました。 特に、1988年から放送が始まった民放のバラエティー番組「探偵!ナイトスクープ」では、初代局長として鋭いツッコミや時に見せる厳しい意見で、番組の顔として人気を不動のものにしました。 ほかにもトーク番組などで関西を中心に幅広く活躍していましたが
2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため死去した。81歳だった。2日に米朝事務所が報告した。 【写真】息子は映画監督の小林聖太郎氏 松坂桃李主演の『マエストロ!』手掛ける 本人の強い意向により、ごく限られた身内で密葬を済ませており、お別れの会なども固辞したいとの旨を伝えていたという。 上岡さんは1942年3月20日生まれ、京都市出身。横山パンチの芸名で、60年に横山ノックさん、横山フックさんと「漫画トリオ」を結成。68年に解散後は、テレビやラジオ番組の司会などで、絶妙な笑いを交えたトークを繰り広げ、関西を中心に絶大な支持を誇った。 笑福亭鶴瓶と共演した『鶴瓶上岡パペポTV』や、初代探偵局長を務めた『探偵!ナイトスクープ』をはじめ、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などヒット番組多数。「東京嫌い」で知られたが、全国ネットの番
日本テレビの長寿演芸番組「笑点」の大喜利メンバーとしてお茶の間の人気者だった落語家の六代目三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・會泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。所属事務所が同日、公式サイトで報告した。22年1月に脳梗塞を発症し、リハビリを重ねて8月に高座復帰を果たしたが、軽度の肺炎でダウン。その後肺炎は軽快し肺がんの治療を再開した矢先に、帰らぬ人となった。 【写真】今年8月、高座に復帰した際に、車椅子で会見する三遊亭円楽さん 所属事務所は「8月下旬の入院以降、肺炎は軽快し、肺がんの治療を再開した矢先のことでした。遺族、関係者一同、大変急なことで、今はまだ悲しみに向き合うこともできず、対応に追われております。葬儀は近親者のみで行わせていただき、後日、お別れの会を催す予定でございます。関係者のみなさまへは改めてご案内申し上げます」とした。 8
公式サイトにて「弊社所属俳優 竹内幸輔儀(45歳)令和4年6月8日 病気のために永眠いたしました」と報告。「葬儀告別式はご遺族の意向によりご親族のみにて執り行われました。ここに生前中のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げるとともに、心より哀悼の意を表します」と記した。 7日には自身のツイッターで「人生でいちばんおなかいたい どうしよ この後気絶とかしたらこわいからとりあえずメモ」とツイートしていた。 竹内さんはアニメ『テニスの王子様』天根ヒカル、『アイシールド21』原尾王成、筧駿、『デュエルマスターズビクトリー』シリーズ ドラゴン龍の声を務めた。また、2013年に亡くなった桜塚やっくんとお笑いコンビ・あばれヌンチャクを組んでいた。
今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。三つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。 ◆ この「女芸人の今」連載で、たくさんの女性芸人にインタビューをしてきた。芸風や年代に関わらず、女性芸人が女性芸人を語る時、必ず出てくる「上沼恵美子」という名。 かつての女天才漫才師は、レギュラー13本をあっさり捨てて関西テレビ社員だった夫と結婚、そして出産。なにわのヤング主婦としてタレント業を始め、いつしか「西の女帝」と呼ばれるようになった上沼恵
「なりたくなかった」漫才師で大人気になり、結婚後は夫の「条件」の下で仕事復帰するもすぐに夫の年収を越す。 怖いものなしのタレント「上沼恵美子」の顔と、家事育児を完璧にこなし夫や姑に従う妻、母、嫁の顔。側から見ればアンバランスであり、もどかしさすら感じる上沼恵美子のそんな複数の「顔」は、テレビの前でアイデンティティに揺れ動いていた主婦の心を鷲掴みにしていった。 上沼恵美子は主婦たちといかにして手を握り合ってきたのか。その根底にある「怒り」と「赦し」を訊いた。(全3回中の2回/1回目を読む) ◆ ◆ ◆ ――上沼さんのYouTubeチャンネルはコメント数がすごく多いんですよ。 上沼 らしいですね。私見ないんです。悪口書かれてると嫌なので。結構気が弱いんですよ。 ――悪口はなかったです。主婦の方や普段あまりYouTubeを見なそうな世代の方のコメントが多いように思いました。 上沼 まあ嬉しい。誰
「M-1」というものは、笑いじゃないような気がする ――「ほらは吹くけど嘘はつかない」とおっしゃってましたが、「M-1」の審査でもそうでしたか? 上沼 そうですね。「他の審査員の方はネットを気にしてる」って言ってました。それは本人たちが言ったのではなくて、「気にしてるなあ」って第三者が言ってましたね。 怖いんでしょうね、やっぱり。私は知らなかったのでね、そのへんが。悪かったのかよかったのかちょっとわからないんですけど。 ――確かに、ネットのお笑いマニアの方々からは「(上沼恵美子の審査は)好き嫌いでやってるんじゃないか」という批判もありました。 上沼 そうです。今、お笑いマニアが増えてますよね。一般受けしないような漫才を支持したりしてますね。私は理解できないです。ただ、あの席には選ばれて行ってるわけですから、媚びたり、みなさんの顔色をうかがってやるつもりは全くなかったんですよね。 でももう、
創業110周年を迎えた吉本興業が、「令和」の新時代に伝統の「笑い」と最新の「笑い」を同時に届ける特別公演『伝説の一日』(4月2日、3日)が、大阪・なんばグランド花月(NGK)で開催。四回目公演「さんまの駐在さん」に出演したナインティナインの岡村隆史(51)が「こんな晴れの舞台で、私事ですが」と切り出すと「子どもができました。パパです」と報告した。 【写真】その他の写真を見る 会場から驚きと祝福が寄せられる中、明石家さんま(66)は「これからの舞台が台無しや、エンディングで言えよ!」と愛あるツッコミ。「名前つけたる」と意気込むも、ボケ倒していき、岡村から「さんまさん!」とツッコミを入れられていた。 ひとしきりトークを行っていったが、岡村は「勘違いされているかもしれないですが、もう生まれました。かなり経っています」と驚きの告白。さんまが「もう、あしたの見出し決まった。もうええわ」と脱力する中、
「其れ、則ちスケッチ。」は、1999年に解散したフォークダンスDE成子坂のネタを後世に残したいという思いを持つ有志が2020年11月に始動させたプロジェクト。2019年11月に死去したフォークダンスDE成子坂・桶田が生前に「名作コントは古典落語や名曲のスタンダードナンバーのように、さまざまな芸人によって演じられるようになってほしい」「自分たちのネタやアイデアをアニメキャラクターに演じさせたい」と語っていたことから、彼らのコントをもとにしたアニメ作品が制作された。 構成・演出を担当するのは、フォークダンスDE成子坂を師と仰いでいた元芸人のアニメ監督・石ダテコー太郎。また「ケロロ軍曹」の原作者で、アニメ「けものフレンズ」のコンセプトデザイナーを務めたマンガ家・吉崎観音がキャラクターを描いている。メインキャラは、とある島になぜか2人きりで取り残されてしまった少女のハジメとチヅル。声優の植田ひかる
錦鯉優勝の瞬間、抱き合っているおっさん2人の姿を見て、こちら側も貰い泣きしてしまいました。錦鯉さん、優勝おめでとうございます。 前評判では、昨年のマヂカルラブリーみたく「漫才か漫才じゃないか論争」が巻き起こるのではないかと言われていましたが、蓋を明ければ錦鯉・インディアンスによるバカボケ大戦、オズワルドによる正統派漫才が決勝に駒を進めました。 特に、錦鯉・長谷川さんの「口を開くだけで面白い」は、私にとってジミー大西さん以来です。一番最後に遅れてやってきたお笑い第5世代の逆襲に胸が熱くなります。本当におめでとうございます&お疲れ様でした。 それでは、2021年のM1を各審査員の採点傾向と共に、様々な観点から振り返りましょう。 今年も過去3年間と顔ぶれが変わらず、逆に過去比較がし易くなっています。あと1年は同じ体制で続けて欲しいですね。日ハムの栗山監督だって10年やったんですから、その半分は続
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