重監房資料館(草津町)は今夏も、隠れた史跡を訪ねるツアー「初めてのハンセン病史 もうひとつの草津温泉」を開催しました。 「特別病室」問題の啓発を行う当館ですが、恒例の夏ツアーは草津温泉の湯治場としての本質に迫ります。参加者は光泉寺、湯畑を出発し、湯之沢集落跡やその墓地を経て、栗生楽泉園、重監房資料館へと歩きます。この道程で、湯治場を利用していたハンセン病者が温泉中心部から湯之沢地区そして栗生楽泉園へ、外へ外へと押し出された軌跡をたどることができます。 ハンセン病問題と草津というと、1887(明治20)年に成立した湯之沢集落から学習を始めがちですが、湯治場の成立は戦国時代にさかのぼります。 湯治場元来の性格を一言で表すならば、世俗的権力の及ばないアジール(無主の地)となるでしょう。神仏が支配する「平等」の原則に貫かれていた場所です。ですから江戸時代の湯治場利用は貴賤、貧富、健常者病者、敵味方