もう落ち着いた感がありますが、日本においてかつてないほどスーパーコンピュータが議論の対象になりましたね。 僕は日立時代とSGI時代に、日米双方の立場でスパコンの営業をしていました。 日立に入って配属され、文部省の研究所の担当になった時、最初の仕事が、ワープロで作られた稼動中のスパコンの全部品、型番別のリストの更新でした。一般的な汎用機(メインフレーム)では、100項目程度で収まるのが、スパコンの場合は、AAから始まって、PAぐらいまで項番がありましたから500個ぐらいのハード製品やソフト製品の集合体だったわけですね。 メモリ追加とかソフト追加のたびに項目増やすのでメンテが必要だったんですが、オプション追加の随意契約でも、何かと書類が必要だったのを思い出します。納入実績になってしまうので、表面上は一定の値引率に抑える必要があり、契約上は別型番を作って、カタログもなんとなく作ってとか。 そのリ