ヴォネガットはSFという形式を使って、オースターはミステリという形式を使って、しかしSFでもミステリでもない何かを書こうとした。 その何かとは、つまり、固有性の喪失なのではないだろうか。 『スローターハウス5』*1というのは、「そういうものだ」という言い回しによって、ある種の体験の特権性を剥ぎ取ろうとしていた。つまり、「死」とは特別なことではないということだ。そして「死」の特権性を剥ぎ取ることによってようやく、ドレスデン爆撃について書くことができたのだろう。 オースターでは、『幽霊たち』*2にしろこの『グラス・オブ・シティ』にしろ、登場人物から固有名詞が剥奪されている。いや、剥奪、というのは正確ではない。彼らにはれっきとした名前がある。しかしもはやそれが意味をなしていない。主人公のクィンは、ウィリアム・ウィルソン名義で作家をしているが、引きこもりのような生活をしていて、社会的にはクィンとい