明治二十六年(1893年)6月12日、海道一の大親分、ご存知!清水次郎長こと、山本長五郎が74歳でこの世を去りました。 ・・・・・・・・・・ 小さい頃、時代劇で見た頃のイメージだと、「江戸も真っ只中のお話なのかな?」と思っていましたが、意外にも幕末から明治の人だったんですね~ しかも、若い頃、あれだけ大暴れしていたワリには、奥さんや大勢の子分に囲まれての穏やかな最期・・・静かに畳の上でお亡くなりになったワケですから・・・。 ・・・というのも、時代劇では、任侠の世界に生きる次郎長一家の親分としての次郎長さんばかりが描かれますが、晩年は、やくざな世界から足を洗い、実業家として社会事業に貢献するといった、まっとうな余生を送った人だったからなのです。 ・・・・・・・・・ 清水の次郎長こと山本長五郎は、文政三年(1820年)1月1日に、清水港の船頭頭・三衛門の次男として生まれ、後に、母方の叔父にあた
清水次郎長が生まれる 今日は何の日 文政3年1月1日 文政3年1月1日(1820年2月14日)、清水次郎長が生まれました。幕末の侠客で、「海道一の大親分」として小説、時代劇、浪曲などでもおなじみです。もっとも最近は、架空の人物と思っている人も増えてきているようです。 「旅行けば駿河の国に茶の香り…」。 広沢虎造の浪曲でよく知られる清水の次郎長…といっても、浪曲自体をあまり耳にしなくなった昨今、次郎長の名前も特に若い人には馴染みがうすくなっているのは、時代の趨勢というものでしょう。 次郎長の生涯が知られ、庶民のヒーローとなったのは、『東海遊侠伝』(明治17年出版)の存在が絶大でした。同書は元磐城藩士の天田五郎(愚庵)が、次郎長のもとに身を寄せていた時に、聞き書きしたノンフィクションです。次郎長の原型はここにあり、後にさまざまに脚色されていきました。 次郎長は本名を山本長五郎。文政3年に駿河国
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く