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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/buffalo1970 (6)

  • ヤリガイ。 - ポエトリー・デザイン

    デザイナーから良質のアウトプットを導きだすのは、けっきょくのところ、いかにその仕事に面白さを感じられるか?ということに尽きる。ずっとそう思ってきたし、いまでも思う。もちろん、それはデザイナーという職業にに限ったことではない。 でもやっぱり、面白い仕事もあれば、面白くない仕事もあって、それはしょうがない。 組織の中にいると、いろんなひとがいて、面白さの感じ方もそれぞれで、仕事自体もいろいろ。 みんながモチベーションを感じながら、いい仕事ができるといいなぁ、とおもいつつ、じっさいはなかなかむつかしい。 そしてそう思いながら、自分自身も、自分なりの面白さというものをみつけてゆかなければならない。 仕事おもしろさって、なんなんでしょうね。 確かにおもしろいと感じている瞬間はあるのだけれど、あとからそれがなんだったかを思い出そうとすると、なんだかボウヨウとしていてつかみどころがなくて、意外とよくわ

    ヤリガイ。 - ポエトリー・デザイン
  • デザインに、できること。 - ポエトリー・デザイン

    ばったもんといえばそうだし、フェイクといえばまぁそうです。 ギミックといえば、そうかもしれまい。 でもね。 コンビニ弁当を、最大限、おいしく見せるために。 コンビニ弁当を、最大限、味気なくない ように見せるために。 デザインというものが、がんばってるじゃーあーりませんか! デザインというものができることを、 がんばってる!って、言っていいじゃーあーりませんか! ねぇ。

    デザインに、できること。 - ポエトリー・デザイン
  • ロングライフデザイン2。 - ポエトリー・デザイン

    たとえば器とかは、ぜんぶロングライフデザインでもいい。 いや、それでは困る人も、いるかもしれないけれど、 「私は」困りません。 携帯電話は、人によっては困らないでしょうけれど、 あたらしい機能やサービスは、やっぱり使いたいので、 モノとして進化してくれないと、困る。「私は」。 携帯電話のような商品の、「ロングライフデザイン」は、 成立するんでしょうか。 そして、ここでもキラリと光るのはiPod。 世代を重ねて、容量が増えて、小さくなって、 電池が長持ちして、ビデオが見られるようになって、 ずんずん進化しています。 モノとしては、ばんばん代替わりして、「消費」されていますけれど、 じゃぁiPodの「デザイン」が「消費」されたかというと、 デザイン自体は消費されていない、とおもうのです。 こりゃ、すごいね。 モノは進化し、商品として消費はされているけれど、 まるでDNAのように、「デザイン」

    ロングライフデザイン2。 - ポエトリー・デザイン
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/02/28
    デザインの中にある変わり行くものと変わらないもの。
  • ロングライフデザイン。 - ポエトリー・デザイン

    「ロングライフデザイン」は素敵ですが、 世の中ぜんぶ「ロングライフデザイン」になってしまうと、 なんだか社会主義国みたいです。 商売もアガッタリです。 「ロングライフデザイン」は素敵ですが、 その質?が受け入れられているというよりは、 蔓延する「ショートタイムデザイン」にうんざりした人々の、 「アンチとして在る」ことのほうが大きいように感じます。 どちらも必要なのだろうとおもいます。 そのバランスや関係が、 ただ崩れてしまっただけなのではないか。 と、かんがえています。

    ロングライフデザイン。 - ポエトリー・デザイン
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2007/02/26
    定番のデザインに対する、ちょっと違った見方。そう言われると確かにそうだと思う。難しい……。
  • バランス。 - ポエトリー・デザイン

    さいきん、モノと生活のバランスについて、かんがえています。 ものづくりを生業(なりわい)にしている以上、作るモノについては、 まぁ一所懸命作るわけです。 それはいいとして。 そのモノが、買ってくれたひとの生活のなかに入ることを、かんがえる訳です。 四六時中、たとえばクルマのことを考えているひとは、いるでしょう。 ただ、ふつうは、ふだんの生活があって、寝たり事したり仕事したり、そのあいだに、 モノに触れる時間があるわけです。 モノもいろいろですけど、多くの場合、 モノは手段であって目的ではない。 そのへんもフツーのプロダクトと ゲームの違うとこだったりしますが、 まぁそれは置いといて。 生活のなかに、自然に在るべきものだとおもうんですね、多くのモノは。 そのモノのありかたは、そんなにギラギラと、主張しなくてもいいんではないか。 そのモノを中心にして、生活がまわる訳ではない。 多くの場合、モ

    バランス。 - ポエトリー・デザイン
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2006/10/07
    「生活のなかに、自然に在るべきものだとおもうんですね、多くのモノは。」そう、同感。「過剰デザイン」とでも言えばいいのかな?
  • 徳光さんの涙。 - ポエトリー・デザイン

    つまり徳光さんは、リテラシーが高すぎるんである。 リテラシーとは違うな。読み取り能力とでも言うべきか。 状況のなかから、経験に照らして、 勝手に苦労を創造して、 背景をふくらましてすごさを補完して、 そんで泣いちゃうんである。 歳とともに、涙もろくなるというのは、そういうことだとおもう。 経験を重ね、引き出しが深く厚くなり、 あらゆるピンチや困難を、 その経験データベースを駆使して生きてきた、 企業戦士の徳光さんのようなおじさんは、 だから「親父ギャグ」を連発しちゃうんである。 生き残りの進化の過程で、 「事象-経験の連想回路」が発達したんですね。 親父ギャグは、ベタ=短絡さが「おかしみ」だけれど、 でも、そういう短絡で笑かされるのは、 フリチンで笑かす子供のようで、 おかしいけど、恥ずかしくて、うっとうしい。 「在る」ことがらを、型にはめず、決めつけず、 ありのままに受け入れることは、む

    徳光さんの涙。 - ポエトリー・デザイン
    halca-kaukana
    halca-kaukana 2006/09/05
    涙もろい徳光さんの考察。確かに、年をとってくると涙もろくなるのはそういう理由だからかもしれない。
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