沮授(そじゅ) 覚える特殊能力 武将パラメーター 沮授(そじゅ) 沮 授(そ じゅ、? – 200年) 冀州牧の韓馥に別駕・騎都尉として仕え、韓馥が袁紹に冀州を譲ろうとすると、他の幕僚と共に諫止したが聞き入れられなかった。 結局、袁紹が冀州を支配すると、沮授もそのまま袁紹に仕えた。沮授は、冀・青・幽・并の4州を平定した上で長安に帝を迎え、洛陽において後漢の宗廟を復興する戦略を袁紹に説いたため、その賞賛を受け監軍(袁紹軍の総司令官的地位)・奮威将軍に任命された。 この戦略の下に、袁紹は建安4年(199年)までには4州を平定することに成功している。 袁紹軍は総崩れとなり、大敗した。沮授は黄河を渡河するのに遅れたため、曹操軍に生け捕りにされてしまった。 曹操は沮授と旧知の仲であったため、彼を配下に迎えようとした。 しかし沮授はこれを頑なに拒否したという。 曹操が沮授の能力を惜しんで処刑しようとし