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地図に関するhanamizuruzuruのブックマーク (2)

  • 日本列島ほぼ全域描く、最古級の地図発見 広島の博物館:朝日新聞デジタル

    14世紀中ごろの室町時代(南北朝時代)に描かれたとみられる、州から九州のほぼ全域が記された日地図がみつかった。広島県福山市の県立歴史博物館が15日発表した。現存する最古の日地図は京都・仁和寺(にんなじ)所蔵の「日図」(1305年)とされるが、西日が欠けており、全体が残った地図では最古級。日地図の変遷をたどるうえで重要な発見と注目される。 博物館によれば、確認されたのは「日扶桑(ふそう)国之図」(縦122センチ、横57センチ)。広島出身の収集家から博物館に寄託された。国内68カ国が描かれ、地図の欄外には国名と郡名、人口や田畑の面積、寺の数なども記された。近畿を中心に九州を上に描き、京都から各地へ街道が伸びている。当時は「琉球(りゅうきゅう)」と呼ばれ、日中国などとの中継ぎ貿易で栄えた沖縄も記されている。沖縄を「龍及(りゅうきゅう)国」と表現する鎌倉時代の地図の特徴と、港町の

    日本列島ほぼ全域描く、最古級の地図発見 広島の博物館:朝日新聞デジタル
  • 伊能忠敬 - Wikipedia

    伊能 忠敬(いのう ただたか[注釈 1]、延享2年1月11日〈1745年2月11日〉- 文化15年4月13日〈1818年5月17日〉)は、江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家。通称は三郎右衛門(さぶろえもん)、勘解由(かげゆ)。字は子斉、号は東河。 寛政12年(1800年)、56歳から、文化13年(1816年)まで、17年をかけて日全国を測量、73歳で死去[2][3]。その後は弟子たちが遺志を受け継いで『大日沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。 1883年(明治16年)、贈正四位。 前半生[編集] 伊能忠敬出生の地(千葉県九十九里町) 幼少期(九十九里町生活期)[編集] 延享2年(1745年)1月11日、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家で生まれた。幼名は三治郎。父親の神保貞恒は武射郡小堤(おんづみ)村(現・千葉県山武

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