ウェブサイトとしてのブログの使い方と、それからパーマリンクのあり方についてずっと悩んでいた(と言うか戸惑っていた)のだけど、サイトのコンテンツには「連載型」と「書き下ろし型」があるのだと気づいた。 「連載」ならば、少ない量でかつ完結してなくていいので、とにかく定期的・継続的にリリースすることが大切になる。また方向性についても、連載の中で少しずつ変遷していけばよく、着地点をあらかじめ固定する必要はない。 一方「書き下ろし」ならば、求められるのは完成度の高さと完結性。記事をそのように位置づけている場合、書き手としても読み手にも、短期間内に連続してリリースされる意義はほとんどない。つまり月に一~二度の更新でもよい。むしろ速報性が求められていない分、頻繁に更新されて過去ログへ流れてしまうよりは一定期間トップページにあったほうがいい。 ブロガーの中には、そのように複数のブログを分用してることも多いか
私は携帯電話のメール機能をほとんど使わない。PCメールを携帯電話からやりとりする(リモートメール、とかいうのだろうか)ことはあるのだが、それすらも自分から送るのは最小限にしている。理由は簡単で、打ちにくいからだ。あんな小さいキーボードで打てるわけないじゃん、と書いたあたりでもういまどきの人には「なんだこいつ」と思われているにちがいない。慣れた人が高橋名人ばりの速さで携帯メールを打つさまには、正直驚愕する。要するについていっていないのだ。 以上を前提として。 今回「発見」したのは、PCの電子メールを書くときの流儀が、私たちの世代と今の若い世代とではちがっている、という話だ。何いってるのあたりまえじゃん、となるのだろうが、とりあえず補足する。 私の世代だと、電子メールといえばPCで送受するものとして覚えた。メールを書くときに手本としたのは紙で書く手紙だ。電子メールができる前は、PC(とかワープ
「格差社会」について、あちこちで種々の意見が交わされている。しかし、それらの格差(主に経済的なそれ)を若い人々はすでに、すんなりと受け入れているのだとしたら、議論のありようは根本的に違ってくるはずだ。「格差?それがどうしたの?それのどこが問題なの?」という人々が大多数だと仮定すれば、では、今の格差社会論議は、いったい、社会の何をどう解明し、その先、どう展開していくのだろうか? 以下、少々長いけれども、山口二郎北海道大学教授のHPからの引用。06年8月:対抗軸としての社会民主主義の創造。 (引用開始) 去年の総選挙で若者・都市住民が小泉自民党に雪崩れてうっていきました。「騙された」という説明もあり得ますし、ドラマ化された政治、「刺客」とか「セレブ」とか面白いトピックを繰り出していくエンターテイメントとして選挙をやったということをいう人もいます。しかし、それですべてを説明するのは無理だと思いま
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