その瞬間まで、確かにそこにあった街、暮らし、命。当時の人々の営みを丹念に描いた映画「この世界の片隅に」がロングランを続けている。主役のすずが見つめた風景から、失われたものに思いをはせる。原爆投下から、きょうで72年――。
その瞬間まで、確かにそこにあった街、暮らし、命。当時の人々の営みを丹念に描いた映画「この世界の片隅に」がロングランを続けている。主役のすずが見つめた風景から、失われたものに思いをはせる。原爆投下から、きょうで72年――。
もう何年も前に終わった話。 でも、同じことで苦しんでいる人のために書き残しておく。 ストーカー騒動の時に、しっかり対応してくれた会社には感謝している。 だから迷惑かけないように、多少フェイクを入れて書く。 個人や会社を特定するのは無理だろうけど、話の大筋は変わっていない。 会社に勤めていた時、社内にストーカーがいた。 その当時、私は経理系のパート。 ストーカーは、他部署の派遣だった。 会社は365日営業していた。 部署によっては平日だけのところもあれば、土日祝も営業しているところもあった。 そのため、経理も基本は週7日営業でシフト制だった。 ストーカーの部署は、繁忙期だけ週7日営業をする。 そして相手の部署はフリーアドレスを採用していた。だから、座席を毎日自由に変えられた。 そういったこともあって、付け回されているのに気づくのが少し遅れた。 最初は、よく挨拶してくる人だなと思っていた。 経
無謀にも30年戦争に介入して一敗地にまみれたデンマーク王、クレスチャン4世。戦で親友をも亡くしローセンボー城で塞ぎこむ王のもとに、イングランドから美貌のリュート奏者ピーターが訪れる。王はピーターを天使かと見紛い、亡き親友の面影を夢見てピーターを囲い込む。 音楽が好きな王は宮廷楽団を抱えているが、楽団は沈黙の地下のワイン貯蔵室で演奏し特殊なパイプを通じて王の謁見室に妙なる調べが流れるようになっている。王は訪れる人々を驚かせることによって慰めを見出しているのだ。 若い王妃、キアステンの心はとっくに王から離れている。キアステンはドイツ人貴族と密通し官能に溺れている。富裕な地主ヨハンの娘、エミリアは末の弟マークスが生まれた直後に母を亡くす。エミリアとマークスは好色な継母マウダリーナに馴染めないが、愛欲の虜となったヨハンはキアステンの侍女として邪魔になったエミリアを奉公に出す。残されたマークスの痛々
漫画家の故・水木しげるさんが半世紀前に書いたとみられる未発表の随筆原稿が、東京都調布市の自宅から見つかった。陸軍二等兵として送られた戦場で左腕を失い、悲惨な経験を漫画で伝えたいという水木さんの思いに反し、読者や版元から「勝ち戦」の話を求められる葛藤が記されている。 「ぼくが書きたいのは敗け戦さの話だったんだが、それはゆるされないのだ。少年たちは花々しいガダルカナル戦あたりまでしか読んでくれないのだ」 随筆は原稿用紙1枚に鉛筆で書かれ、書斎のファイルに挟んであったのを次女が見つけた。当時の大人向けの漫画誌「ガロ」(青林堂)向けに1967年ごろ執筆されたとみられる。売れずに廃刊になった貸本を作っていた漫画家2人の名前を挙げており、水木さんと親交の深かった作家の京極夏彦さんは「この漫画家たちを気遣って掲載を見送ったのでは」と話す。 随筆では、水木さんが60年…
結婚して約半年。まだ新婚だ。 最近、夫から会社の愚痴ばかり聞かされる。色々な話を総合すると、どうやら夫は会社で孤立しているようだ。 社長からは日常的に罵られ、仲の良い同僚もいない。最低限の伝票整理などをやり、周囲とはほとんどコミュニケーションを取らず、一日中ほぼ無言で過ごす。話を聞く限り、そんな感じらしいのだ。 夫が今の会社に勤めて、3年が経つ。それは私達が付き合い始めた期間とほぼ重なる。 思えば、夫が会社に対してポジティブな話をするのを聞いたためしがない。いつも愚痴ばかりだった。 彼はずっと、つらい状況にいたのだろうか。 結婚前、私はあまりそういうことを気に止めずにいた。会社員生活は大変だ、彼も人並みに苦労しているのだ、私がささやかな癒しになれれば。そんな風に考えていた。それに、私自身も働いているし、基本的にはそれで精一杯なところがあった。 結婚して、一緒に暮らし始めて、付き合いたてのこ
日本社会に暮らし、日本企業に勤めていると、20代後半を過ぎて結婚をしていない人間に対するプレッシャーがとても強いと感じる。特に、女性でこのプレッシャーを感じたことのない人なんていないんじゃないだろうか。 私個人としては、結婚願望はあるものの、仕事も趣味もとても楽しいので、結婚したいと思える人がいつかいればしたいかな~くらいのスタンスだ。それでも日本にいた頃は、親や会社や社会からの「早く結婚しろプレッシャー(さらに言えば、結婚できないのは人格に問題があるからだという謎の決めつけ)」を浴びすぎて辟易していた。 周りでも「海外に比べて日本はこういったプレッシャーが強いから生きづらい」といったような意見をよく聞いた。海外は個人主義だから個人の決定が尊重されるけれど、日本は集団主義というか集団の構成員に同質性を求めるから皆と同じようにしなければいけなくて、社会から結婚することを押し付けられているとい
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