また、阪神・淡路大震災で被災した体験から防災や復興にも積極的に関わり、東日本大震災の復興構想会議の議長や、熊本地震からの復旧・復興に向けた有識者会議の座長を務め、有識者の立場で災害からの復興に力を尽くしました。 五百旗頭さんが理事長を務めている「ひょうご震災記念21世紀研究機構」によりますと、6日午後、執務中に息苦しさなどを訴えて神戸市内の病院に搬送され、急性大動脈解離のため亡くなったということです。80歳でした。 日本の政治外交史が専門の五百旗頭真さんが防衛大学校長を務めたのは、自衛隊が発足してから半世紀余りがすぎた2006年8月からのおよそ5年半です。 アメリカで同時多発テロ事件が起きるなど国際情勢が不安定化し、自衛隊の活動範囲がイラクやインド洋など海外に広がる中で、将来の自衛隊幹部の育成にあたりました。 その中で重視したのが、初代の学校長を務めた槇智雄の教育理念でした。 槇は、個性が