ブックマーク / onboumaru.com (15)

  • 月岡芳年 ―「血みどろ」絵師は「生」を見つめた― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    TSUKIOKA YOSHITOSHI 「血みどろ」の時代 月岡芳年(つきおか よしとし)は「血みどろ」の絵師である。 妖と奇の巨人、歌川国芳に師事し、兄弟子に落合芳幾、河鍋暁斎らがいた。 一魁斎、玉桜楼などと号したが、最後は大蘇芳年と名乗っている。 出世作は、慶応二年刊行の「英名二十八衆句」、同四年すなわち明治元年の「魁題百撰相」。 両作の成功により、「血まみれ芳年」の異名をとった。 (※クリックで拡大します) 痴情のもつれによる殺人を報じた郵便報知新聞の記事より。 芳年の挿絵が今で言う報道写真の役割を果たした。 めくるめく生首、血しぶき、死に顔、鮮血のオンパレード。 残虐とグロテスク、怪奇、猟奇に満ちている。 「無惨絵」「残酷絵」「血みどろ絵」などと称される新ジャンルを切り拓いた。 同じく郵便報知新聞に提供した挿絵。 追い剥ぎに遭った女二人が、狼にわれた事件を描いたもの。 だが、その

    月岡芳年 ―「血みどろ」絵師は「生」を見つめた― | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
  • 民話の怖い話より 「鬼婆が血となり肉となる」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 ある山奥の貧しい村に。 竹林に囲まれたぼろ屋がございまして。 老婆と孫娘が二人で暮らしておりましたが。 夜空に月が白く冴えた。 ある秋のことでございます。 高く伸びた竹がゆらゆら揺れる。 竹の葉がさらさら音を立てる。 風がかたかた板戸を鳴らす。 「おばば。寒くて眠られない」 「よしよし。おばばの布団へおいで」 おばばは齢六十で。 孫娘の志乃は十六で。 おばばには倅が三人おりましたが。 この数年で次々と亡くなってしまい。 残されたのはこの志乃ひとりでございます。 ほかに身寄りのないおばばは。 志乃を心底可愛がっておりました。 トハいえ、まだまだ子供と思っておりましても。 世間では十六といえばもはや年頃でございます。 現に、ひとつ夜着の中で身を寄せ合っておりましても。 志乃の体つきが小娘から娘に変わりつつあるのがよく分かる。 「志乃にもそろそろ婿を探してやらねばならんの

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  • 蒼き炎と眠る美童 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 かの一休禅師による怪異譚でございます。 一休禅師が諸国を廻って修行をされていたときのこと。 伊賀国は喰代(ほうじろ)ト申す地へ差し掛かりますと。 どこからか、男の声に呼び止められました。 「もし、旅のお方」 あたりを見回してみるト、茶屋が一軒。 そこに商人体の男がひとり、店先の床几に腰掛けている。 見るからにやつれ果て、背中を丸めてこちらを見ております。 夕日が男の長い影を地に投げかけている。 「拙僧をお呼びですかな」 一休は訝しげに返答する。 男はうんともすんとも申しません。 ただ、ぼんやりと己の影に目を落としている。 「いかがなさいました」 一休は隣に腰を掛ける。 男は、はあっト深い溜め息を一つつく。 そうして、もそもそと懐から何やら取り出しまして。 それを禅師に手渡しました。 「これを、この先の寺町へ」 「拙僧に託されるのですな」 それは一通の文でございました

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    hanpeita1973
    hanpeita1973 2017/07/04
    おかえり!
  • 吉田御殿 千姫乱行 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 番町皿屋敷ト申しますト。 これはもう、芝居の方で大変に名が知られておりますが。 あの皿を一枚、二枚――ト数えるくだりは。 実はある種の洒落でございます。 ト申しますのも、あれは元々「皿屋敷」ではない。 「更屋敷」ト書くのが当でございまして。 では、何故「更屋敷」が正しいのかト申しますに。 ここに、ひとつ恐ろしい由来が伝わっている。 時は元和元年五月七日。 大阪城は徳川方に攻め入られ。 今しも落城せんとしております。 茶臼山にて戦況を見守っていた家康公は。 城から火の手が上がるのを目にされまして。 「誰かある」 「ハッ――」 「城中へ忍び入り、千姫を救い出して参れ。厚き褒美を取らせるぞ」 「ハッ――」 千姫は言わずと知れた豊臣秀頼公の御簾中。 家康公には可愛い孫娘にございます。 ここで無事、姫を救出してくれば、これほどの勲功もございません。 ところが、敵陣はすでに火

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  • 熊野起請文 烏の祟り | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく「神に誓って」ナドと申す人がございますが。 その神トハどの神かト考えますに。 大抵の場合、それは熊野三山の祭神、熊野権現でございましょう。 三山の各社では、牛王符(ごおうふ)ト申す御札を配っておりまして。 表にはカラスをあしらった烏文字でもって。 「熊野山宝印」「那智瀧宝印」ト記されてある。 その裏に誓いの文句を書き、血判を押しますト。 これが熊野権現に誓いを立てたものトみなされます。 落とし噺に、「三枚起請」なる噺がございますナ。 「末は夫婦に」ト書いた起請文(きしょうもん)を。 さる遊女が大事な客ト取り交わす。 ところが、町内の顔見知り三人が。 同じ起請文を持っていたので騒動になる。 その時、遊女を問い詰めた男のひとりが切る啖呵に。 「イヤで起請を書く時は、熊野でカラスが三羽死ぬ」 トいうものがございます。 熊野ではカラスは神の使いでございます。 嘘の誓いを

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  • 蓮華往生 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 世の中誰もが最後はいずれ死にますが。 同じ死ぬならせめて穏やかに死んでいきたいト。 やはり誰もが願っていることでございましょう。 中には、金を積んででも。 満ち足りた死を得ようとする。 そんな御仁もいらっしゃるようで。 役者の初代尾上菊五郎は、もと上方の人でございます。 京都の芝居茶屋の出方、つまり接待役の家に生まれまして。 後に江戸でも知られる大看板となりました。 さて、この菊五郎には愛息がございまして。 名を丑之助ト申しましたが。 これが父に勝るとも劣らぬ美男子でございます。 十六歳の頃には、忠臣蔵の力弥の役で大評判をとりました。 やがて、菊五郎丑之助父子は人に招かれまして。 江戸に進出することになりましたが。 父子の上方なまりが、江戸っ子にはどうも鼻につく。 父は芸の力で補えましょうが、丑之助はまだ若い。 そこで、市村熊次郎という踊りの師匠のもとへ。 丑之助は

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  • ひとり女房 一殺多生 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 これから幾回かに分けまして。 「妲己のお百(だっきのおひゃく)」の悪行譚をお話しいたしますが。 今回、お百はまだ出... ところが他方では、まるで合点のゆかぬおかしな迷信もあったもので。 その最たるものが、これからお話する「ひとり女房」だト申せましょう。 明応年間ト申しますから。 今の世に知られる戦国の猛将たちが。 まだほんの赤ん坊だった頃の話でございます。 猿楽(能)の鼓打ちなる善珍ト。 同じく笛吹きの彦四郎の両人が。 駿河へ下らんと、伊勢の大湊で便船を待っておりました。 天気は晴朗にして、波は穏やかでございます。 やがて相客たちも乗り込んでまいりまして。 船はいよいよ出航する。 善珍は自家の中間(ちゅうげん)――つまり家来を連れておりましたが。 それは、中間のが駿河の人でございまして。 病の母を見舞うため、夫婦して主人の旅に同行したものでございます。 するト、

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  • 傾城阿波の鳴門 巡礼歌 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 阿波のご領主は玉木様でございますが。 昔、衛門之助様なる若殿が、色に堕ちたことがございました。 高尾ト申す傾城に、文字通り国を傾けられたのでございます。 その隙を突いてお家転覆を企てたのが。 小野田郡兵衛ト申す奸臣で。 騒ぎの中、今度は家宝、国次の刀が盗まれる。 国難に当たって、家老桜井主膳が召し出しましたのが。 かつて放逐された元家臣、阿波の十郎兵衛ト申す男でございます。 桜井主膳の密命を受けまして。 十郎兵衛とそのお弓の二名は。 まだ幼い娘のおつるを、十郎兵衛の母に預け。 大坂へ宝刀探しに向かいました。 さて、それから幾年月が流れまして。 大坂の町には盗賊どもが跋扈している。 世に白浪、夜稼ぎと呼ばれる悪人たちの。 一味のうちに、銀十郎ト申す男がある。 浪花の町外れ、玉造にあるその隠れ家に。 女房がひとり、針仕事をしながら帰りを待っておりますト。 「もし、この

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  • 廃寺の五妖怪 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 昔、智行兼備の僧がおりまして。 諸国をさすらっておりましたが。 ある国にやってまいりますト。 妙な噂が耳に入った。 かつては荘厳だった名のある寺が。 今では住持の僧が住み着かなくなってしまい。 庭には草がぼうぼう生い茂り。 床には蜘蛛が這い回っているという。 仏道者として、これは聞き捨てならじト。 土地の在家を訪れまして。 詳しく様子を尋ねてみますト。 「そのことでございます」 ト、檀家が僧の方へ身を乗り出す。 「これまでに御坊様が何人かおいでにはなりました。いずれの方も初めこそ、案ずることはない、任せられよ、と頼もしいことをおっしゃるのです。ところが――」 そこでひとつ言葉を呑んだ。 「ところが――」 「はい。ところが、夜になっていざ寺に入られますと、明くる朝にはきっと姿を消しているのでございます」 「ほう」 ト、僧も頷いた。 「我々といたしましても、悲しいやら申

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  • 阿弥陀の聖 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 さる国の山中をひとり行く僧形の者がございました。 鹿の角を付けた杖を突き、鉦を叩いて諸国を廻る。 方々で阿弥陀如来の願を説いて歩きます。 世にいう念仏聖(ひじり)でございますナ。 さて、この壮年の聖の少し先を、旅の荷物を背負った男がひとり。 少し歩いては振り返り、少し歩いてはこちらを振り返りしております。 「さて、あの男はどうしてこちらをちらほら窺っているのであろうか」 ト、聖も奇妙に思し召さるる。 人気(ひとけ)もない森の中の一道でございます。 後ろをしきりに気にしているということは。 とりもなおさず、聖の存在を気にしているのに違いない。 「あの者も阿弥陀仏の救いを求めているのであろう」 聖はそう合点いたしまして。 そのうち追いつくであろう。 その時は求めに応じてやろう。 ト、考えた。 やがて道は坂に差し掛かる。 その坂を登りつめた

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  • 忍夜恋曲者 将門 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 我々関東者にとって英雄と申しますト。 一も二もなく、平将門公でございますナ。 何故かト問うのは野暮というものでございます。 訳あって崇め奉るわけではない。 訳もなく崇めたくなるのが、真の英雄で。 将門公は、一族内での争いに端を発しまして。 やがて京の朝廷から東国を自立せしめんと標榜し。 一時は「新皇」を称するに至りましたが。 最期は藤原秀郷らに討伐されまして。 波乱に満ちた生涯を閉じられました。 その際、京の都大路にて首を斬られましたが。 三日目の晩に、首が故郷関東を目指して飛んでいき。 今の大手門外の地に落ちたト申します。 その首塚に「蛙」の置物が数多奉納されている。 これは、旅人が国へ無事「帰る」という願いを込めたものだそうでして。 もっとも将門公自身は、無事には帰っておりませんが。 さて、将門公が討ち取られましたその後も。 新皇の勢力は、捲土重来を期して、各地

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  • 箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、「入り鉄砲に出女」ト申しまして。 女が関所を通過するには、非常な困難が伴いますが。 もっとも厳しいのはどこかと申しますト。 それはやはり、東海道は箱根の関所でございましょう。 その関所の裏山に。 お玉ヶ池ト申す池がございまして。 元は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうでございますが。 どうしてお玉ヶ池と呼ばれるようになったのか。 その由来をこれからお話しいたします。 元来、関所と申しますものは。 手形さえあれば誰でも通ることができますが。 こと、女に関しますト。 それがそうもいかないのが難しいところで。 男が関所を通ります場合は、通行手形が必要となりますが。 これは町役人か菩提寺に頼めば、その場でサラサラと書いて渡してくれる。 ところが、女には女手形トいうものがございまして。 これを誰が書いてくれるかと申しますト。 幕府のお留守居役でございます。 ――急に敷居

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  • 旅店の黒妖 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 よく、旅を人生に譬える御仁がございますが。 宿屋はさしずめ、人生の吹き溜まりと申せましょう。 吹き溜まりであるからには、あまり良い物は溜まっていない。 旅立っていくのは、清々しい大志ばかりでございます。 ここに、孟不疑ト申す一人の若者がおりまして。 科挙を受けるべく、長旅をしておりましたが。 昭義ト申す地に至り、土地の旅店に逗留いたしました。 かの国の習俗では、誰もが土足で部屋へ上がります。 とは言え、そこは人間ですから。 足かせをはめっぱなしでは、疲れも癒やされない。 そこで、宿へ着くとまず沓を脱ぎまして。 下女が足をすすいでくれることになっている。 時しも孟が、用意された盥に足を浸しまして。 ホッと一息ついておりますト。 何やらドヤドヤと騒ぎたてながら。 数十人もの一団が入ってきた。 周囲の囁きに耳を傾けますト。 どうやら、姓を張ト申す

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  • 妲己のお百(一)海坊主斬り | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    そも、妲己のお百とは何者かト申しますト。 殷王朝最後の王たる、紂王(ちゅうおう)の治世に。 妲己ト申す絶世の美女がございましたが。 これは同時に稀代の悪女でもございました。 唐土(もろこし)の三代悪女のひとりに数えられているほどでございまして。 俗に「酒池肉林」なる言葉がございますが。 これは、この女の贅沢三昧を揶揄して生まれたものでございます。 その妲己をも凌ぐ悪女であるということから。 不名誉にもその名を冠せられましたのが。 我が日のにおける毒婦の総裁、悪女の元締め。 妲己のお百ト申す、実にけしからぬ女でございます。 ご承知の通り、出羽秋田藩は、佐竹侯の御領地でございますが。 そのお抱えの御用船頭に、桑名徳蔵ト申す者がございました。 御用船の雷電丸に、領主佐竹家の米を積み込みまして。 大坂中之島の佐竹家蔵屋敷へ運びこむのが役目でございます。 ある年の十月十日に、徳蔵はお預かりした米を

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  • 崖から突き落とした男 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐土(もろこし)の話でございます。 唐の貞元年間のこと。 河朔の地に、李生ト申す少年が住んでおりました。 李生は地方官吏の家に生まれまして。 それなりに学問もあるはずではございましたが。 どこをどう踏み誤りましたものか。 幼い頃からすこぶる素行が悪く、親からも見放されておりました。 十四、五の頃には、すでにならず者の一味に加わっておりまして。 すぐに仲間とも喧嘩別れをし、盗賊の真似事をしてひとりで暮らしておりました。 貧しい身なりをして、馬を乗りこなし。 弓矢を手に携えて、旅人をおびやかす。 そんな少年の姿に、人々は畏怖と好奇の眼差しを向けまして。 密かに「石窟小賊」と綽名しておりました。 さて、そんなある日のこと。 根城としている岩山の断崖を、李生が馬で進んでおりますト。 向こうから同じ断崖の道を、馬に乗って悠然ト向かってくる者がある。 年の頃は、李生と同じ十五、

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