井原西鶴『本朝桜陰比事』元禄二[一六八九]年刊 新日本古典籍総合データベース ※この記事では国文学研究資料館所蔵品のデジタル公開画像を適宜加工して使用しております。 【原文】 何の御僉議《ごせんぎ》も無く、 「此の長櫃《ながひつ》ハそも/\、壹人《ひとり》して見付けし事か。 又ハ大勢して見し事か」 と御尋ね遊バされし時、 「是に罷有候《まかりありさうらふ》何がし、一人して見付け候」段、申し上げる。 「己《おのれ》、無用《むやう》の物を見付け、其の一里の者どもに難義《なんぎ》を掛《か》けたる過怠《くハたい》に、是よりすぐに四条川原《しでうがはら》に行きて、今度《こんど》桂川《かつらがは》を流《なが》れし長持《ながもち》の噂《うハさ》を、浄溜利《じやうるり》・狂言《きやうげん》に取り組《く》ミ仕《つかまつ》る事、堅く曲事《きよくじ》の由《よし》、芝居中《しばゐぢゆう》へ急度《きつと》触《ふ》れ